恵心院

マーカーは恵心院です。

恵心院
[恵心院は822年の創建当時は「龍泉寺」とよばれていましたが、1005年に比叡山横川(よかわ)の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって再興され、「朝日山恵心院」と改名されました。この恵心僧都は宇治十帖の中で浮舟を助けた「横川の僧都」のモデルと言われています。 藤原氏豊臣秀吉徳川家と時の権力者に庇護されてきた恵心院ではありますが、中世以降戦火に巻き込まれたこともあり、境内も縮小され、今では本堂楼門を残すのみとなっています。 約1000年前、ここを訪れた人々の心を癒したのは恵心僧都の説法でした。現在ではご住職自らが植えられた四季折々の草花や花木が、訪れる人の心を癒しています。  (「源氏ろまん 京都宇治ウェブガイド 恵心院」より)]

[恵心院 (えしんいん) 真言宗智山派   山号:朝日山
四季を通じて花が溢れ「花の寺」とも呼ばれているに「恵心院」です。平安時代、821年、真言宗開祖・弘法大師(空海、774-835)によって開かれたという。青龍寺に似ているところから、創建当時は「龍泉寺」とよばれていました。1005年に比叡山横川(よかわ)の恵心僧都・源信(えしんそうず・げんしん)によって再興され、朝日山・恵心院」と改名されました。藤原氏、豊臣秀吉、徳川家と時の権力者に庇護されてきましたが、中世以降戦火に巻き込まれ、境内も縮小されました。恵心僧都(えしんそうず)は浄土宗の基礎となった『往生要集』(985)の編者。『源氏物語 宇治十帖』中、宇治川に入水した浮舟を助けた「横川の僧都」のモデルといわれています。現存するのはこの「門」(画像リンク)と「本堂」(画像リンク)です。本堂には平安時代後期の木造十一面観音立像(宇治市指定文化財)が安置されています。  (「宇治の恵心院は花盛り: 京都を歩くアルバム」より)]

都名所図会」・「巻之五 前朱雀再刻 恵心院」、「巻之五 前朱雀再刻 朝日山恵心院 (恵心院)解説
恵心院(拡大図)

[図会左ページ上に興聖寺、中央に恵心院、その左に離宮八幡宮(宇治神社)が描かれています。]

拾遺都名所図会」・「巻之四 前朱雀 喜撰嶽」(宇治川岸に恵心院、興聖寺が描かれている。)
喜撰嶽(拡大図)

[喜撰嶽(きせんだけ)
喜撰嶽は宇治より二里にして櫃川(ひつかは)村の山上也。山頂に高サ一丈斗の巌窟ありて其中に二尺斗の石塔の片破なる物有。石面に文字あり。苔蒸して分明ならず。]

恵心院 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が恵心院参道です。

恵心院山門(Google Map 画像リンク)

恵心院本堂(Google Map 画像リンク)

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