マーカーは東屋観音です。
東屋
[「東屋」(あずまや)は、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第50帖。第三部の一部「宇治十帖」の第6帖にあたる。巻名は、浮舟の隠れ家を訪れた薫が詠んだ和歌「さしとむるむぐらやしげき 東屋のあまりほどふる雨そそきかな」(東屋に葎が生い茂って戸口を塞いでしまったのか、あまりに長い間雨だれの落ちる中で待たされるものだ)に因む(元来「東屋」とは東国の簡素な造りの住まいを指す言葉だが、近年では転じて庭園や公園に設けられた休憩用の小さな建物を指す)。なお、『拾芥抄』(前田尊経閣文庫本)に収められた「源氏物語巻名目録」では「卅二 東屋」に小文字で「狭席イ」」(「イ」はおそらく異名の意味)と付記されている。
あらすじ
薫26歳の八月から九月にかけての話。
薫は、亡き大君に似た浮舟に関心を持ちつつも、受領の継娘という身分の低さにためらっていた。その浮舟の母である中将の君も、身分違いの縁談に消極的だった。
浮舟は、宇治八の宮とその女房であった中将の君との間に生まれた娘だったが、宮には認知されなかった。中将の君はまもなく浮舟を連れて陸奥守(のちに常陸介)と再婚し、東国に長く下っていた。常陸介との間にも数多の子をもうけていたが、高貴の血を引き一際美しい浮舟をことさら大事に育て、良縁をしきりに願っていた。
受領ながらも裕福で家柄も卑しくない常陸介のところには、それを目当てにした求婚者が多かった。20歳を過ぎた浮舟は、そのうちの左近の少将と婚約したが、財産目当ての少将は浮舟が常陸介の実子でないと知るや、実の娘である妹に乗りかえて結婚した。浮舟を不憫に思った中将の君は、彼女を二条院の中君のもとに預けに行く。ところが匂宮が偶然浮舟を見つけ、強引に言い寄ってきた。かろうじて事なきをえたが、それを聞いた中将の君は驚いて彼女を三条の小家に隠した。
秋九月、薫は浮舟が三条の隠れ家にいることを知り、弁の尼に仲立ちを頼んでその小家を訪れる。そして翌朝、浮舟を牛車で宇治に連れて行ってしまった。浮舟の不安をよそに、彼女に宇治の大君の面影を映し見る薫は、大君を偲びつつ今後の浮舟の扱いに思い悩むのだった。
源氏物語絵巻 東屋一(髪を梳かせている中君(左下)と、女房に詞書を読んでもらいながら絵物語に見入る浮舟(中央上))・wikipedia-photo
(wikipedia・東屋_(源氏物語)より)]
東屋観音
[宇治橋東詰から府道沿いを先に進むと左手に東屋(あずまや)の古跡の東屋観音があります。なぜこの観音像が東屋の古跡になったのかはわかっていませんが、いつ見ても必ず花と水が供えられていて、地元の人たちの厚い信仰が伺えます。
花崗岩に厚肉彫りされていて、風化がかなり進んではいますが、表情は穏やかで左手に蓮の花を持ち右手は印 を結んでいるのがわかります。頭が大きくなで肩の藤原様式ですが、鎌倉時代後期の作と伝えられていて、宇治市の重要文化財にも指定されています。 (「源氏ろまん 京都宇治ウェブガイド 東屋」より)]
カメラ北西方向に東屋観音があります。