白川金色院跡

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白川金色院跡
[白川金色院(しらかわこんじきいん)は京都府宇治市白川にあった寺院。1102年に藤原頼道の娘の四条宮寛子によって平等院の奥院として建立されたため、白川別所とも呼ばれる。1460年に放火によって焼失し、再興されたものの明治廃仏毀釈により廃寺となった。1993年から宇治市による発掘調査が行われており、現在は惣門と九重石塔が現存している。
歴史
●1102年に、後冷泉天皇の皇后四条宮寛子が、文殊菩薩本尊として、創建したと伝えられる。
●金色院は平等院の奥院として建立されたため白川別所と呼ばれる。
●その後、金色院十六坊といわれ多くの塔頭を有していた。
●七間四面の本堂は、文殊菩薩を本尊とし、金箔をはりめぐらした荘厳華麗なものであったといわれる。
●1460年に、盗火によって焼失したと伝えられる。
●1463年に白川金色院再興の勧進が始まる。
●1467年には五摂家の一つである近衛家の祖・藤原基実の子孫近衛房嗣政家父子が訪れ、坊舎を鑑賞。
幕末には、蔵ノ坊、中ノ坊、福泉坊が残存していた。
明治維新後に発生した廃仏毀釈に際して廃絶した。
現在の白川金色院跡
●惣門(総門)・wikipedia-photo
●九重石塔  四条宮寛子の供養塔といわれている。
白川金色院伝来の遺仏は地蔵院に残されている。  (wikipedia・白川金色院より)]

拾遺都名所図会」・「巻之四 前朱雀 金色院
金色院(拡大図)

{図会左ページに金色院、右ページに白山大権現(白山神社)が描かれています。]

白川金色院跡 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向に白川金色院惣門(総門)があります。

白川金色院惣門(総門)前のカメラです。

白川金色院跡付近のカメラです。