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山の辺の道についてwikipediaでは下記の通り記述されています。
『現在のその道の起点は、海石榴市(つばいち、椿市:つばきのいち)である。古代には、海石榴市の八十(ヤソ)の衢(ちまた)と称されたところで、桜井市粟殿(おおどの)を中心とした地域であった。平安時代中期の延長 4 年( 926 年)には椿市観音堂付近が起点の地になった。
海石榴市、椿市
この市は、政治の中心が主として奈良盆地の東南部にあった頃、定期的に市が立って栄えた。北へたどる山辺の道の起点であり、そこに初瀬街道が T 字形に合し、さらに飛鳥からの山田の道、磐余の道などの主要な街道が集まり、また初瀬川を下り大和川に出る水運の河港もでき、水陸交通などの要衝の土地であった。その場所は三輪山の南、今の桜井市金屋付近である。
推古天皇 16 年 8 月の条(西暦換算では 608 年 9 月頃の条)に「唐の客を海石榴市の衢に迎ふ」とあり、隋の使者は、初瀬川を船で遡り海石榴市で船を降り、市(衢)そこで出迎えられ、飛鳥の小墾田宮に入京したのであろう。路傍に「海石榴市観音道」の石の道標があり、少し離れたところに「海石榴市観音堂」がある。
道程
金屋の集落を後にして三輪山の山麓を北へ行くと三輪山の神である大物主を祭神とする大神神社につく大神神社は、日本最古の神社で大和国の一宮である。三輪山信仰は縄文または弥生時代まで遡るかも知れない。
大神神社からさらに北の沿道には、茅原大墓古墳・景行天皇陵・崇神天皇陵・櫛山古墳・西殿塚古墳・東乗鞍古墳・西乗鞍古墳などの古墳群がある。また、茅原大墓古墳のすぐ西側に、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓古墳があり、古代・邪馬台国を治めていた卑弥呼の墓とする説もある。古墳時代にはいると山麓地帯には墳丘長 200 メートルを超える巨大古墳が造られた。『古事記』には、「山辺道の勾の岡(まがりのおか)」の近辺に崇神天皇の陵(墳丘長 242 メートル)が、山辺道の近辺に景行天皇の陵(310メートル)があると記している。初期大和政権がこの地に誕生したと考えられている。
このように両天皇の墓が「山辺道」の近辺にあると『古事記』に記されているところから 8 世紀の初めにはこの道が出来ており、 7 世紀末の藤原京時代にもできあがっていたのではないかと推測できる。
現在では静寂さを取り戻しており、山裾の曲がりくねった道ではある。また、飛鳥、藤原の時代には、この海石榴市が栄えていた。』
上記と「山の辺の道(奈良~天理) – 奈良県」「山の辺の道(天理~桜井) – 奈良県」「山辺の道 北コース 天理駅~奈良駅 @京都の山と街 – TOK2.com」を参考として奈良高幡町交差点から「佛教伝来之地」の碑までGoogle マップでたどってみました。
奈良高幡町交差点の一筋南の道路に新薬師寺の案内板があり、そこを東方向に、約 600 m 進むと奈良市高畑町道標(新薬師寺北)、山の辺の道の標柱と新薬師寺の案内標識があり、そこを南方向に進むと東側に不空院、その先西側に新薬師寺、南都鏡神社があり突き当ります、そこを東方向に進み、角地で南方向、宅春日神社参道前、白毫寺参道前を南進し、奈良県道 80 号奈良名張線を横断します。ここは、「山の辺の道(奈良~天理) – 奈良県」の案内の通り、横断歩道を渡り、北方向にいったん戻り、十字路を西方向に進み奈良県立高円高等学校北東角T字路を南に向かいます。
曲がった直ぐの倉庫前に新しい六地蔵があります。その先で路は二又に別れ東側の道が山の辺の道ですがフェンスで遮られます?
(※山の辺の道のルートとして、奈良県道 80 号奈良名張線側に溜池に降りるルートが設定されています。)
通れたとして続行します。北側に溜池があります、溜池の南東角から南方向にあぜ道を通り、南側の道に出て東北東に進みます。バルツァ・ゴーデル東側の十字路を南方向、岩井川を渡るとV字分岐があり、そこを東方向に進みます。その先でV字路で方向転換西方向に進み八坂神社参道前を通り、その先変則十字路を南方向、溜池に向かいます。溜池の堤防を進み特別養護老人ホームトマトホーム西側に出て南東方向に進み、自衛隊奈良訓練場西側に出て官舎西の小道を南方向に進み、奈良万葉カンツリー倶楽部【アコーディア・ゴルフ】外周を周り藤原台西に出て、南南東方向に進みます。
白山比咩神社参道前、嶋田神社参道前を通り、八島陵(崇道天皇陵)参道前に出ます。この場所から 10 m 西の道路中央に八島巨石伝承の遺跡があり、その先左・「前池」北東角に山の辺の道標識と山辺の道コース図が設置してあり、ここから向山地蔵前を通り圓照寺参道に出るルート案内になっています。ここは、「山の辺の道(奈良~天理) – 奈良県」の案内の通り奈良県道 188 号高畑山線にでます。南方向に進み圓照寺バス停前から圓照寺参道を進み圓照寺向かいます。
圓照寺は拝観は不可ですが、黒門前右が山の辺の道で石段を上り進むと西側に圓照寺 西圀三十三箇所霊場石仏と大師堂があり、その前を通って、岡山稲荷大明神前をさらに進み、岡山稲荷大明神鳥居を潜り大川池(竜王池)前に出ます。大川池(竜王池)北西角に休憩所があり、そこに八島巨石伝承の遺跡横にあったと同じルートを描いた山辺の道コース図が設置してあります。そこを西方向に進み中澤忠七翁壽碑前から南東方向に進み奈良県立精華学院前交差点を東方向に進みます。
旧柳茶屋の延命地蔵尊先の T 字交差点を南方向に進み、奈良市役所精華連絡所前を通り、高樋簡易郵便局先の二又の西側の小道を進み奈良県道 187 号福住上三橋線に出ます。県道横断先に山の辺の道標識があり民地と思われる小道に入り、その先弘仁寺境内を抜け虚空蔵町集落溜池の西側に出て東方向に進み再度奈良県道 187 号福住上三橋線に出て南西方向に進み白川野球場北側を通り古墳公園から奈良県白川ダム管理センターに進み、白川ダム堤防道路を通り名神国道トンネルを潜り貯水池施設前に出てます。
貯水池施設の間が山の辺の道になっています、この道を南東方向に進み石上大塚古墳、ウワナリ塚古墳の間を通り奈良県道51号天理環状線に出て南に進み、その約 200 m 先環状線東側に山の辺の道の標識があります。この標識を北東方向に進み豊田城跡分岐標識から南に方向展開して山裾を豊日神社を目指します。
豊日神社から天理市豊井町 239 地先前道路に出て東方向に進み、天理教白羽大教会信者詰所東側小道を南方向に進み布留の高橋を渡り進むと、石上神社 0.3 km の山の辺の道標識があり、そこから西方向に進みます。その約 100 m 先に石上神社 0.2 km の標識があり、南西方向の山道を進むと石上神宮 楼門前に出ます。その少し先石段を下り、右道北側に山の辺の道石碑があり、南方向に進みます。溜池西側を通り道路に出て南東方向に進み国道 24 号トンネルを潜り内山永久寺跡の溜池の北側を通り、天理観光農園(峠の茶屋)前を通りを過ぎると標識のある道に出ます、そこを西北西方向に進み三つ目のT字路を南南西方向に進みます。
夜都岐神社参道前を南に進み、天理市乙木町に入り突き当たって東方向に進み、乙木町公民館前で方向転換し南に向かいます。ひたすら南進し、竹之内環濠集落前、山の辺の道休憩所前、舟渡地蔵前を通り萱生環濠集落に至ります。
萱生町集荷場西側の道を南に進み、環濠を渡り西山塚古墳の東側を通ります。
常夜灯前を南西方向に進み五社神社前を通り念佛寺前に出ます。
中山大塚古墳内にある大和稚宮神社前、柿本人麻呂歌碑前を通り南進して集落を抜け南東方向に進み、次の交差路を西に進み、直ぐのT字路を南に向かいます。柳本町 ( 1 ) の太神宮常夜灯前を通り、長岳寺参道前で南に方向転換し進み、天理市トレイルセンター前を通り、突き当りを東に進み、柳本町 ( 2 ) の太神宮常夜灯東側で、南西方向に進み行燈山古墳と櫛山古墳の間を抜けます。
堤防道を抜け南進し、安心トイレ前を通り、さらに南進して集落を抜け南西方向に進みます。丸山古墳(景行天皇陵飛地ろ号)横を進み、渋谷向山古墳とシウロウ塚古墳の間を通り、神籬遺跡前を通り、穴師坐兵主神社参道前の通りに出てます。この地点から西方向に垂仁天皇纒向珠城宮跡碑があります。
東方向に向かいます。この次の十字路で南方向に進みます。
この十字路先には、景行天皇纒向日代宮跡碑、纒向日代宮伝承地、相撲神社、穴師坐兵主神社があります。
南方向に進み途中、歴史街道碑、柿本人麻呂歌碑前を通り、奈良県道 50 号大和高田桜井線に出て、東南東方向に進みます。途中、箸中の太神宮常夜灯、柿本人麻呂歌碑があり、その先で、檜原神社への案内板があり、そこを南西方向に方向転換します。
檜原神社鳥居と桧原御休処の間を南方向に進み、玄賓庵前、貴船神社参道前、狭井神社参道前、久延彦神社参道前、大直禰子神社参道前を通り大神神社二の鳥居前に出ます。
大神神社二の鳥居前を前を出発して、三輪成願稲荷神社前を通り、平等寺参道前に出、山門前を通り、磯城瑞籬宮跡碑(志貴御県坐神社)東側、喜多美術館、金屋の石仏横を通り、海石榴市碑、「佛教伝来之地」の碑に到着です。