平安京大内裏

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    [大内裏(だいだいり)とは、平安京の宮城である。12世紀以降、宮城内の天皇在所である内裏を「大内裏」と表記することがあったが、14世紀になると宮城全体を「大内裏」と称するようになり、この用例が一般化した。平安京の北辺中央に位置する。
    政変や失火のためたびたび焼失し、平安末期頃から再建されておらず、1227年(安貞元年)にはついに大内裏のほとんどを焼失する火災が発生し、これ以後再建されることはなく、跡地は内野と呼ばれる荒れ地になってしまった。
    東西約1.2km、南北約1.4kmの、行政施設・国家儀式や年中行事を行う殿舎、天皇の居住する内裏が設置されている区域であった。
    大内裏の周囲は築地の大垣が張り巡らされており、この築地を「宮城垣」または「外の重(とのえ)」という。
    門は最も外側に「宮城門(きゅうじょうもん)」が位置し、内裏外郭の門を「宮門(きゅうもん)」、内郭の門を「閤門(こうもん)」という。
    平安京大内裏(平安宮)平面図

    平安京大内裏の位置・wikipedia-photo、「皇城大内裏地図。寛延3年(1750)。森幸安書写。」・wikipedia-photo
        (wikipedia・大内裏より)]

    内裏
    [内裏(だいり)とは、古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所(ごしょ)、禁裏(きんり)、大内(おおうち)などの異称がある。都城の北辺中央に 官庁エリアである宮城(皇城)があり、宮城内部に 天皇の私的な在所である内裏があった。
    平安京の北辺には宮城である平安宮(大内裏)があり、その内部の中央東寄りに南北約300m、東西約200mの内裏が存在した。その場所は、現在の京都市上京区下立売通土屋町の付近である。内裏は、宮城の中央政庁である「朝堂院」の北側に位置し、周囲を築地に囲まれ、その内部は北側に後宮、南側に天皇の政務所である紫宸殿や日常生活の中心地である清涼殿などがあった。
    平安京内裏は天徳4年9月23日(960年10月16日)の火災で全焼したあと、幾度も火災に見舞われ、やがて里内裏が現れてくると天皇はもっぱらそちらに常住するようになり、内裏の意義は低下してくる。平安宮の内裏は鎌倉時代に焼亡したのち再建されることはなく、南北朝以後は内裏の東に位置する里内裏であった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が御所となり、近世になってその内域に紫宸殿、清涼殿などが復元された。現在の京都御所がこれである。
    内裏平面図(「梨壺」とあるのは昭陽舎のこと。)
     
        (wikipedia・内裏より)]

    大内裏の五つ役所名が現在の町名として残っています。
    馬寮京都市中京区西ノ京左馬寮町
    右馬寮 – 京都市中京区西ノ京右馬寮町
    式部省京都市中京区西ノ京式部町
    中務省京都市上京区中務町
    主税寮京都市上京区主税町

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