敏馬神社

マーカーは敏馬神社です。

敏馬神社
[敏馬神社、敏馬神社(みぬめじんじゃ)は、神戸市灘区岩屋中町にある神社。式内社で、旧社格は県社。
『摂津国風土記』逸文に当社創建に関する記述がある。神功皇后新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在尼崎市神崎もしくは豊中)で戦勝祈願したとき、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをするとこれは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。
延喜式』の玄蕃寮の項には、特に、新羅より賓客が来朝したとき、生田神社で醸した酒を、当地にてふるまったことが見える。難波鴻臚館でも酒をふるまっているので、当地で酒をふるまうことは一種の儀式だった。『延喜式神名帳』では「摂津国八部郡 汶売神社」と記載され、小社に列している。
都から現在の大阪を経て、西国に船で向かうときの最初の宿泊港であり、西国から都に戻る時、大和を意識させる生駒山などが見え出す地でもあることから、柿本人麻呂大伴旅人田辺福麻呂はじめ、多くの歌人によって、和歌が当地で詠まれた。江戸時代には、俳人与謝蕪村も兵庫の北風家に立ち寄る途中、度々訪れている。西国街道(浜街道)に面していたので、様々な遊戯施設が設けられ、陸からも、海からも、参拝者が訪れ、賑やかであった。
昭和20年6月5日、戦災により社殿を焼失し、昭和27年に再建された。
本殿のある丘の下に湧水があったが、阪神・淡路大震災で涸れてしまった。
拝殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・敏馬神社より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「9巻46・岩屋村敏馬社求塚

[図会左ページに敏馬神社が描かれ、参道口左に志み洲(湧水)と記述されています。敏馬神社右は龍泉寺で、右ページの求塚は西求女塚古墳になります。]

敏馬神社参道前のカメラです。

敏馬神社拝殿前のカメラです。