マーカーは大阿弥陀経寺です。
旭蓮社(大阿弥陀経寺)
[鎌倉時代末期、中国から帰朝した澄円(ちょうえん)上人の開創。現在は浄土宗知恩院末に属すが、廬山派・慧遠(えおん)大師の白蓮社(びゃくれんじゃ)の流れを汲む念仏本山として栄えた。明治維新後、堺県裁判所として本堂などが売却されたが、その後買い戻され復旧した。写真(画像リンク)は江戸中期に再興された西を正面とする本堂と客殿で、昭和20年(1945)の堺大空襲で毘沙門堂を残しすべて焼失した。戦後の再建で南側が表門に、本堂も南向きになった。 (「17.旭蓮社(大阿弥陀経寺) – 堺市立図書館 堺市」より)]
「和泉名所図会. 巻之1-4 / 秋里籬嶌 [著] ; 竹原信繁 画」 – 「旭蓮社(1巻49)」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 堺大絵図改正綱目・享保20(1735)年」(堺大絵図改正綱目.pdf)(コマ番号3/3・絵地図四つ切右下、南宗寺の右上に旭蓮社と記述されています。
カメラ北東方向が大阿弥陀経寺南門です。