石塚清次郎商店

マーカーは石塚清次郎商店です。

石塚清次郎商店
[戦国時代皆川広照がすすめたといわれる「丈間(稲わら、麻の織物)」は、栃木町の西部に位置する皆川(現在の栃木地域皆川地区)の特産だった。それがすべて栃木町に集まることによって、栃木町では荒物問屋が生まれ、江戸その他の地方へと商圏をひろげ、商人町栃木の名をあげることになり、それがまた農村を刺激して生産を増大させていった。
日光例幣使街道沿いには現在も2軒の荒物問屋があり、荒物の販売を行っている。
年間を通して店先で荒物を販売しており、市内はもとより市外さらには県外からも座敷箒や茣蓙(ござ)、竹籠といった荒物を目当てに買物客が訪れている。
「石塚清次郎商店」は旧日光例幣使街道の東側にあり、通りに面して店舗を構え、奥に住居を置いた配置をとる。石塚家は明治 40 年(1907)発行の『栃木県営業便覧』によると、現在の場所より南に「麻荒物、麻縄、麻糸麻布箒類商 石塚庄蔵」とあり、その後、大正初期頃に現在地に移り荒物問屋を営んで今日に至っており、現在も座敷箒、茣蓙(ござ)等の荒物を扱っている。伝統的建造物に特定されている店舗は、木造平屋の真壁造とした町屋で、寄棟形式の屋根に桟瓦が葺かれ、鬼瓦には明治 40 年(1907)の営業時に使用していた屋号が残っていることから、少なくとも明治 40 年(1907)以前の建設であることが分かる。  (「栃木市の維持向上すべき歴史的風致 第2章 – 栃木市(石塚清次郎商店p-87)」より)]

カメラ東南東方向が石塚清次郎商店です。