このページでは「河内名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [著] ; 丹羽桃渓 画 – 早稲田大学」データベースを利用して、図会挿絵の個所についてまとめてみました。
河内国の範囲は生駒山地・金剛山地の西側に沿った南北に細長い地域で、現在の大阪府東部に該当するが、奈良時代の初めまでは海側の和泉国の領域も含んでいた。
西の平野部は、縄文海進によってできた河内湾に淀川・大和川から流入する土砂が堆積して広がっていったものである。湾は、古代に上町台地から北方へ伸びる砂州によって塞がれて潟湖(河内湖)となり、やがて新開池(しんがいけ、大阪市鶴見区・東大阪市・大東市)・深野池(ふこのいけ、寝屋川市・門真市・大東市・東大阪市・四條畷市)の2つの広大な水域が残った。
江戸時代、大坂から船で淀川・新開池・深野池と進んで飯盛山のふもとの野崎観音の近くまで遡航し、「野崎参り」をすることが盛んになった。宝永元年(1704年)に堺に向けて西流する現在の流路に大和川を付け替える工事が行われると、両大池の水量が減少し、鴻池新田などの新田開発が進められた。新開池は姿を消し、深野池もわずかに一部が調整池として残るのみだが、この地域にはかつての水郷の面影が今も見られる。
山城国八幡(京都府八幡市)を基点とする東高野街道は、洞ヶ峠から入って河内国を南北に縦貫し、長野(河内長野市)で西高野街道と合流してからは高野街道となり、紀見峠・橋本(和歌山県橋本市)を経て高野山へ至る。高野山参りが盛んになると京都から高野山への参詣道として賑わうようになった。 (wikipedia・河内国より)
交野天神社、渚院跡、意賀美神社(万年寺跡)、枚方宿鍵屋資料館、光善寺、蹉跎神社、山田池、伝 王仁墓
廃岩倉開元寺、獅子窟寺、小松神社(星田妙見)、磐船神社
佐太天神宮、来迎寺、茨田堤の痕跡
龍尾寺、四條畷神社、小楠公御墓所(伝楠木正行公墓)・雁塔
慈眼寺
『稲田桃』碑、長栄寺、若江鏡神社、石切剣箭神社、大龍寺、興法寺、長尾の滝・天龍院、髪切山慈光寺、暗峠、枚岡神社、往生院六萬寺
木村重成の墓、常光寺、八尾天満宮、真宗大谷派八尾別院大信寺、顕証寺、大聖勝軍寺、木村家住宅(河内木綿)、生駒十三峠の十三塚、神立茶屋辻碑、玉祖神社、法蔵寺・郡川千塚古墳、教興寺、天照大神高座神社・岩戸神社、恩智神社
大和川分水築留掛かり
柴籬神社
小山団扇、葛井寺、道明寺、道明寺天満宮
安福寺
島泉丸山古墳、野中寺、誉田御廟山古墳、誉田八幡宮、杜本神社、大黒寺、壺井八幡宮、通法寺跡
妙見寺、叡福寺、西方院、鹿谷寺跡、科長神社
磐船大神社、高貴寺、久米の岩橋(大字平石)、弘川寺
美具久留御魂神社、興正寺別院、龍泉寺
寄手塚・身方塚、建水分神社、千早城跡
河合寺、烏帽子形八幡神社、観心寺、金剛寺、天神社、光滝寺