葛飾北斎-諸国滝廻り

落下する水の表情を趣旨として全国の有名な滝を描いた大判錦絵による名所絵揃物全8図で、版元は『富嶽三十六景』と同じ西村屋与八(永寿堂)。天保4年(1833年)頃、前北斎為一筆。  (wikipedia・葛飾北斎#諸国滝廻りより)]

木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝(きそじのおくあみだがたき)(wikipedia-photo)

[滝を描いた8枚揃の連作の1枚。画面の中央部に滝の落口と滝の上半分を、左中段に行楽に来た男達を配している。とりわけ本図の主軸である藍と緑そして黄土が織り成す、あたかも、巨大な薬玉(くすだま)のような滝の描写は圧巻である。  (「諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧 文化遺産オンライン」より)]

木曾海道小野ノ瀑布(きそかいどうおののばくふ)(wikipedia-photo)

[長野県木曾郡上松町にある小野の滝は、江戸時代に成立した「木曾八景」の一つに数えられた名瀑。北斎は本シリーズでしばしば、見上げるポーズの画中人物を登場させていますが、彼らは滝の高さや雄大さを演出する効果的なモティーフでした。本作品では更に、滝と右下の岩場を結ぶ対角線上の構図が旅人の視線の向きを一層強調し、滝の高さがより際立つよう、工夫されています。  (「葛飾北斎 諸国瀧廻り 木曽海道小野ノ瀑布 – 島根県購入分 | 島根 …」より)]

北斎漫画. 7編」(コマ番号14/34・信濃小野の滝)

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美濃国養老の滝(みのこくようろうのたき)(wikipedia-photo)

[大判錦絵 天保4年 (1833) 頃
本シリーズは8図が知られています。養老の滝は岐阜県養老郡養老町にあります。この滝には、貧しいきこりが父に滝の水を飲ませたところ、滝の水が酒に変わったという伝説があります。本図では、滝、滝壺からあがる水飛沫みずしぶき、うねるような川の水、もくもくと立ち上る霧、といったように様々な水の姿が表されていますが、滝を見上げる旅人と、川のそばに腰を下ろす旅人を描くことで、滝だけではなく川の流れにも鑑賞者の目を誘っています。  (「諸国瀧廻 美濃ノ国養老の滝 – すみだ北斎美術館」より)]

下野黒髪山きりふりの滝(しもつけくろかみやまきりふるのたき)(wikipedia-photo)

[大判錦絵 天保4年 (1833) 頃
霧降の滝は、現在の栃木県日光市男体山(なんたいさん)の麓ふもとにあります。2段に分かれて落下する姿が特徴的で、日光東照宮への道すがら多くの人が訪れました。本図には、滝を見下ろす旅人と、見上げる旅人が描かれており、鑑賞者に2つの視点を意識させます。いくえにも分かれて岩間を流れ落ちる水の表現は、滝というよりも1つの巨大な生き物のようで、シリーズ中でも強烈なインパクトを持ち、この表現は渓斎英泉(けいさいえいせん)など後の浮世絵師にも受け継がれていきます。  (「諸国瀧廻 下野黒髪山きりふりの滝 – すみだ北斎美術館」より)]

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相州大山ろうべんの滝(そうしゅうおおやまろうべんのたき)(wikipedia-photo)

[葛飾北斎は『冨嶽三十六景』シリーズで有名な浮世絵師です。『諸国瀧廻り』は各地の滝を題材にした全8図の揃物で、『冨嶽三十六景』と同様に版元の西村屋与八から出版されました。この時期の北斎作品を象徴するベロ藍(プルシャンブルーとも呼ばれる舶来の青色顔料)がふんだんに用いられているのが特徴です。この作品も、勢い良く流れ落ちる滝が、鮮やかな青色によって爽やかに表現されています。
ごつごつとした山の間から勢い良く流れ落ちるのは、神奈川県伊勢原市大山にあるろうべん(良弁)の滝です。滝水にはベロ藍と呼ばれる鮮やかな青色がふんだんに用いられ、緩やかに弧を描きながら落ちる滝は板ぼかしの技法によって立体的に表されています。ふんどし姿の男たちは、身を縮めながら滝にあたっているところ。動きや表情にはどこか親しみやすさがただよいます。大山の石尊権現へ参詣する大山詣江戸中期頃から流行し、参詣者は頂上の本社参詣の前に水垢離をとり、身を清める必要がありました。本図に描かれているのは、その水垢離の場面です。
『諸国瀧廻り』シリーズは、ほかにも「東都葵ヶ岡の滝」「美濃ノ国養老の滝」「下野黒髪山きりふりの滝」「東海道坂ノ下清滝くわんおん」「木曾海道小野ノ瀑布」「和州吉野義経馬洗滝」「木曾路ノ奥阿彌陀ヶ滝」の7図が知られています。規模や形状の異なる滝を見事に描き分ける様子からは、北斎がさまざまな水の表情を表現し尽すことに関心を抱いていたことがみてとれます。  (「『諸国瀧廻り』より 相州大山ろうべんの瀧 – 町田市立国際版画 …」より)]
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東海道坂ノ下清滝くわんおん(とうかいどうさかのしたきよたきかんのん)(wikipedia-photo)

[坂の下は、鈴鹿峠の手前にある宿場である。画面右上部の旅人達が石段を登っているが、その先に格子をはめた岩屋がみえる。笠を置き、手を合わせる男の様子から、表題の清瀧観音を祀っていることが窺われる。清瀧といういわれは岩壁を伝って幾筋にも分かれて落ちる清流に岩屋が面していることによっている。  (「諸国瀧廻り 東海道坂ノ下清瀧くわんおん – 神奈川県立歴史博物館」より)]
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東都葵ケ岡の滝(とうとあおいがおかのたき)(wikipedia-photo)

[大判錦絵 天保4年(1833)頃
各地の滝を主題としたシリーズの1図です。本図に描かれた葵ヶ岡の滝は、現在の港区虎ノ門にありました。溜池の堰せきから流れ出した水が滝となり、その水音から「どんどん」と呼ばれ親しまれていました。現在は、埋め立てによりその姿をみることができませんが、江戸時代には名所として知られ、歌川広重もこの滝を描いています。画面手前には天秤棒を下ろして一休みする人も描かれており、江戸の人々の暮らしぶりも描き出されています。  (「諸国瀧廻 東都葵ヶ岡の滝 – すみだ北斎美術館」より)]

和州吉野義経馬洗滝(わしゅうよしのよしつねうまあらいのたき)(wikipedia-photo)

[厳密に言うと、桜木神社の前を流れる川は、青根が峰を源とする「喜佐谷(きさたに)川」で、さらに上流へ進むと川は二股に分かれる。右の川に沿った道をとると「高滝(たかたき)」があり、こちらが上千本に続く「象の川」である。この高滝は、葛飾北斎『諸国滝廻り』の一つとして描かれた「和州吉野義経馬洗滝」のモデルと言われており、義経が吉野へ逃れる際に馬を洗ったという故事もある。  (「『菅笠日記』を携え 、奥千本からの滝巡り – 和州探訪 …」より)]

奈良県の滝-高滝 | 滝を探して・・・ – Ameba

高滝(Google Map 画像)

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