マーカーは下馬碑です。
関連ページ – 石清水八幡宮一ノ鳥居、石清水八幡宮頓宮、五輪塔(航海記念塔)、高良神社、神幸橋、大扉稲荷社・影清塚、石清水社・石清水井、石清水八幡宮三ノ鳥居、一ッ石、エジソン記念碑、楠木正成公の楠・築地塀、石清水八幡宮 東総門、石清水八幡宮 北総門、石清水八幡宮 西総門、石清水八幡宮 校倉、石清水八幡宮
下馬碑
[八幡平谷の相槌稲荷社の南、石清水八幡宮への石段の左、登り口に建っているのが下馬碑である。高さ1メートル55センチ、上家根形であり、この部分は55センチ。「下馬」の2文字を行書でもって大書している。この筆跡は,瀧本坊の住職だった松花堂昭乗のものと言われている。
この碑を見て、藤原尚次(男山考古録著者)は、摂津国の四天王寺に詣って、南門外道の東南の方向を向いた「下馬碑」があり、その形、文字の大きさ、彫刻の模様が八幡の下馬碑と全く同じで、さらに傍らに「寛永十四丑年」と彫っているのを見て、松花堂昭乗の筆跡であることは疑いないと言っている。また、松花堂昭乗は四天王寺において、弘法大師の筆法を学んだということが佐川田昌俊が記した『昭乗行状記』に見えることから、これは昭乗が四天王寺にいたときに書かれたものだろうと解説している。 (「流れ橋 – 八幡市観光協会」より)]
石清水八幡宮境内図(「オープンストリートマップ」より。) – 地図をスクロールして右上に下馬と記述されています。

カメラ南方向に下馬碑があります。