マーカーは勝竜寺です。
勝龍寺
[長岡京市の勝竜寺公園の南、狭い道に囲まれた住宅街の一角に勝龍寺という小さな寺がある。平安時代初期の大同元年(806年)、空海が建立。当時は長安の青龍寺で学んだことから青龍寺と呼ばれた。応和2年(962年)の干ばつの際に当時の住職、千観が雨乞いをしたところ雨が降り、村上天皇から「龍に勝り雨を降らせた」として勝龍寺という寺号が与えられる。以後、付近一帯の地名になった。
鐘楼の鐘は大阪の陣のどさくさで持ち去られ、後に淀川で発見される。その後転々とし今は大阪府の指定文化財になっているという。二代目は第二次世界大戦末期に供出される(初代の鐘の返還交渉も行われたようだが実らなかったとのこと)。現在のは三代目で大晦日には除夜の鐘がつかれる。 (「175 勝龍寺(京都府長岡京市)」より)]
[大同元年(806)空海(弘法大師)の開基。寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。大干ばつ大飢饉の年に住職千観(せんかん)上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。本尊は鎌倉時代につくられた十一面観音で、国の重要文化財に指定されています。
正面の右には、びんずる尊者の像が安置され、病気の人が、このお像をなでた手で自分の悪いところをさすると、病気が治ると信じられています。また、平成18年12月には、「ぼけ封じ観音」が安置され、西日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場の第三番霊場で、同じくぼけ封じ近畿十楽観音霊場の第三霊場となっています。京都洛西観音霊場第十四番札所です。 (「長岡京市ホームページ – 勝龍寺(しょうりゅうじ)」より)]
カメラ北北東方向が勝龍寺です。
勝龍寺本堂前のカメラです。