大山崎の西黒門跡

マーカーは大山崎の西黒門跡です。

大山崎の西黒門跡
[昔の大山崎集落は、離宮八幡宮神領であり、 15 世紀にその集落の東と西の端にそれぞれ黒門が設けられ、それぞれ東の黒門・上の黒門と、西の黒門・下の黒門と言ったそうです。
西黒門ですが、ちょうど、島本町にあるうどん屋「かぎ卯」付近にありました。「かぎ卯」前の入江亭は昔は宿屋でしたが、昭和になってからも「黒門の木屋」とよばれていました。※現在は文具屋を経て廃業。西黒門の跡は、大正時代まで残礎があったらしですが、残念ながら残っていません。  (「東黒門跡(石敢當)と西黒門跡 | 山崎観光案内所」より)]

[平安時代の末に当地で始まった荏胡麻油生産が活発化すると鎌倉時代には大山崎油座が結成され、離宮八幡宮は座の会所となり大いに繁栄しました。
室町時代には大山崎油は西は九州北部から東は美濃地方まで独占販売するほどになりました。
大山崎は室町幕府から自治権を認められ自治都市として独自の発展を遂げました。  (「離宮八幡宮/大山崎町」より)]

山崎通分間延絵図-東大寺村(「E0028647 五海道其外分間絵図並見取絵図 – 東京国立博物館 …」より)
絵図街道中央右方向に大山崎の西黒門が描かれ、絵図中央「東大寺村」下方向に水無瀬川と記述され、そこの左が水無瀬神宮になると思います。

  
  
カメラ北北東方向左がうどん屋「かぎ卯」で、右が文具・趣味の店「イリエ」で、この付近に大山崎の西黒門があったようです。