マーカーは柳谷の渡し跡碑です。
柳谷の渡し跡碑
[淀の流れは大阪府と京都府の府境部分、桂川・宇治川・木津川の三川が合流するところから始まります。
そこは、京都府八幡市内の男山と、歴史的にも有名な天王山を近い距離に置く、山崎狭隘部と呼ばれている場所です。この山崎と川向こうの八幡市の橋本辺りには、かつて、渡船場が三つありました。きつねの渡し、広瀬の渡し、そして山崎の渡し(柳谷の渡し)です。
山崎の渡し跡は山崎側の水無瀬川の河口辺りにあり、対岸の八幡/男山近年(昭和)まで橋本辺りの交通の便として利用されていました。山崎の渡しは西国街道と京街道を連絡する二つの幹線道路の重要な
結節の役割を果たしてきました。
時代の流れによって、きつね、広瀬の渡しがなくなってからも、山崎の渡しは存続し、戦後しばらくの間もありましたが、昭和37年1962年に廃止されました。 (「山崎の渡し/きつね渡し/広瀬の渡し | 山崎観光案内所」より)]
[古代から山崎の渡し/きつね渡し/広瀬の渡しの3カ所あった最後に残ったのがここの渡し場。
道標(柳谷わたし)の表示
「柳谷わたし」「山ざき あた古わたし場」「大坂下り舟のり場」「明治二年建立」とある。
「治」が読みにくいが「己巳」の年なので明和ではなく明治で間違いない。 (「柳谷渡し跡 – 枚方市 – LocalWiki」より)]
[No.3 橋本中ノ町 堤防の近くです。
「柳谷わたし場」
「山ざき あたご わたし場」
「大坂下り舟乗り場 津の国そうじ寺 わたし場」
ここから渡しに乗って、淀川を渡り柳谷観音(楊谷寺)へ行ったのでしょう。 (「八幡の道標を訪ねて – 1~14橋本周辺、男山、西山」より)]
カメラ北北西方向に柳谷の渡し跡碑があります。