棚次遺跡(左京28次調査地)

マーカーは棚次遺跡(左京28次調査地)北東端です。

棚次遺跡(左京28次調査地)
[長岡京市域では、20 例近い調査と名神高速道路拡幅に伴う一連の調査が実施されている。水垂遺跡調査地すぐ北側に位置する左京六条三坊二町では、左京第 28 ・ 84 ・ 87 ・ 295 次調査がある。28 次では平安時代の洪水砂によって埋没した水田を検出し、坪内の区画畦畔や多数の足跡がみつかり棚次遺跡と命名された。  (「水垂遺跡 長岡京左京六・七条三坊 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

雲宮遺跡右上に棚次遺跡が表示されています。

[1980 年、スポーツセンター建設の事前調査(長岡京左京 58 次調査・小字下八ノ坪)で、久我縄手を断ち割るという、画期的な調査が行われました。この結果、平安時代初期の路面幅は約 9 メートル、両脇に幅 2 メートル前後の側溝があり、中世以降半分ほどの規模になって、現在に至ったことがわかりました。
 その北、長岡京市東浄水場建設の事前調査(左京 28 次調査・小字棚次)でも、久我縄手の西側溝が確認され、周りに小区画の水田が広がっていました。当時の人や牛の足跡もたくさんみつかったのですよ。今、このあたりには名神・新幹線がとおり、現代でも高速交通の幹線となっています。  (「古代の直線道路-久我縄手ー – 百瀬ちどりの楓宸百景」より)]

カメラ位置は棚次遺跡南東角で、カメラ北東方向農道が久我畷に重なります。