石清水八幡宮

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    石清水八幡宮
    [石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は男山八幡宮。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。
    三重の伊勢神宮・京都の賀茂神社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社))(または奈良春日大社)とともに日本三社の一社。大分県宇佐神宮福岡県筥崎宮(または鎌倉鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社。
    当社は平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたもので、京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143m)山上に鎮座する。天皇家からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の一つとして崇敬された。また、公家には京都裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。武家では特に源氏が武神として信仰し、源氏の広がりとともに、源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮など、当社から勧請された八幡宮が各地に建立された。
    創建より、境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、『徒然草』には山麓を当社と勘違いした話がある。明治維新神仏分離以後は仏式を排除した。仏式であった放生会は「石清水祭」と名を変え、葵祭春日祭とともに日本三大勅祭の一つとされる。御利益は厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などとされ、全国から参拝者が足を運ぶ。
    国の史跡である境内は、山上の本宮のある上院と、山麓の頓宮や高良神社のある下院とに分けられる。本殿をはじめ建造物16棟等は国重要文化財に指定。
    祭神
    ●中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと) – 第15代応神天皇の本名。
    ●西御前:比咩大神 (ひめおおかみ) – 宗像三女神多紀理毘売命(たぎりびめ)、市杵嶋姫命(いちきしまひめ)、多岐都比売命(たぎつひめ))を指す。
    ●東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと) – 神功皇后の本名。
    以上の3神を総称して「八幡三所大神(八幡大神)」という。
    歴史
    創建は、貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教空海の弟子)が宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇社殿を建立したことによる。「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水山寺(現 摂社・石清水社)による。
    皇室・朝廷に、京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、天皇上皇法皇などの行幸啓は250余を数える。中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の一つとされ、また、源氏に篤く崇敬され、清和源氏足利氏徳川氏今川氏武田氏などが氏神としたため武神・弓矢の神・必勝の神とされた。
    当社から勧請されて、源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮など、数多くの八幡宮が各地に建立された。
    幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺と称し、東寺(教王護国寺)や清水寺比叡山延暦寺仁和寺鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、相国寺、大安寺など、多くの寺院と関連が深かった。また、河内源氏の競合相手とされる伊勢平氏も当社を重んじ、平正盛の造営の功や平清盛ら伊勢平氏の臨時祭での演舞が知られる。江戸時代まで護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ね、寛永の三筆である松花堂昭乗も八幡大菩薩に仕える社僧であった。
    慶応4年(明治元年・1868年)3月12日、明治政府神仏分離により、八幡大菩薩を「八幡大神」と改めた。また、放生会は仲秋祭に改めさせられた。1871年、官幣大社に列し、社号を「男山八幡宮」とされるが、1918年には「石清水八幡宮」に復する。
    関連する出来事
    正平7年(文和元年、1352年)、当社を舞台に南朝北朝の合戦である「八幡の戦い」が起こった。
    応永35年(1428年)、室町幕府の6代将軍決定の際、当社でくじを引き足利義教が選ばれた(くじ引き将軍)。
    トーマス・エジソン白熱電球の改良に際し当社境内の竹を使用したため、境内には記念碑があり、2月11日にはエジソン生誕祭も行われる。
    下院(山麓)
    「一の鳥居 – 八幡鳥居。銅製の額「八幡宮」は、一条天皇により藤原行成が書いたものを松花堂昭乗が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したもの。「八」の字は、向かい合った二羽の鳩が顔を外に向けた形に作られている。」・wikipedia-photo、「頓宮 – 祭事における神輿の待機所。他の神社での御旅所に相当。」・wikipedia-photo、「五輪塔(重要文化財) – 頓宮脇に立つ。高さ6メートルの通称『航海記念塔』。」・wikipedia-photo
    上院(山上)
    南総門・wikipedia-photo、「楼門 – 社殿は「八幡造」と呼ばれる独特の構造。楼門から奥へと、いずれも国重要文化財の、舞殿弊殿本殿と社殿が続く。織田信長奉納の「黄金の樋」・「信長塀」などを納める。」・wikipedia-photowikipedia-photo、「上院社殿 – 社殿は南面し、参道は斜めに接続。」・wikipedia-photo、校倉(京都府指定文化財)・wikipedia-photo、竈神殿・wikipedia-photo、上院参道の石灯籠群・wikipedia-photo  (wikipedia・石清水八幡宮より)]

    石清水八幡宮ホームページ」 – 「境内のご案内

    石清水八幡宮石燈籠(重要文化財) – Google Map 画像リンク」、「手水舎 – Google Map 画像リンク」、「南総門 – Google Map 画像リンク」、「神楽殿 – Google Map 画像リンク」、「石清水八幡宮 楼門 – Google Map 画像リンク」、「石清水八幡宮 – Google Map 画像リンク

    カメラ西北西方向が手水舎で、カメラ北北西方向が石清水八幡宮南総門です。

    カメラ北北西方向が石清水八幡宮南総門です。

    カメラ北北西方向が石清水八幡宮楼門(朱塗)です。

    石清水八幡宮資料リンク
    都名所図会」・「巻之五 前朱雀再刻 八幡神宮寺」、「巻之五 前朱雀再刻 八幡御旅所疫神社 (八幡疫尽堂)」、「巻之五 前朱雀再刻 石清水八幡宮」、「巻之五 前朱雀再刻 石清水正八幡宮 (石清水八幡宮)解説」、「巻之五 前朱雀再刻 八幡の放生会

    都林泉名勝図会」・「巻之五 八幡安居の神式

    佛教大学図書館所蔵・貴重書等のデジタルアーカイブ集」 – 「一般公開コレクション – 都名所百景 – 雄徳山八幡宮

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