マーカーは石清水八幡宮一ノ鳥居です。
関連ページ – 石清水八幡宮頓宮、五輪塔(航海記念塔)、高良神社、神幸橋、下馬碑、大扉稲荷社・影清塚、石清水社・石清水井、石清水八幡宮三ノ鳥居、一ッ石、エジソン記念碑、楠木正成公の楠・築地塀、石清水八幡宮 東総門、石清水八幡宮 北総門、石清水八幡宮 西総門、石清水八幡宮 校倉、石清水八幡宮
石清水八幡宮一ノ鳥居
[室町将軍の足利義満は参詣の際、この一ノ鳥居前で牛車を降り、本殿に向かった。木造りによる鳥居の建立は、たびたび行われた。応永8年(1401)の造り替え時は、9月21日に山崎八王寺で二本の杉を伐り、24日、大勢の人夫によって宿院河原へ運ばれた。10月7日に2本の柱を立て、19日に笠木が上げられて、21日にようやく完成した。また、鳥居の造り替えのための材木料や人夫の特別徴収が行われたため、応永29年(1422)には大山崎離宮八幡の神人が、社務所の坊舎へ押し寄せ、乱闘になったと『看聞御記』は伝えている。鳥居は、元和元年(1615)に木造りで建てられたのを最後に、寛永13年(1636)に寛永の三筆とうたわれた松花堂昭乗の発案によって石造りに改められた。鳥居の額は、平安時代に書道の名人とうたわれた藤原行成が一条天皇の勅願により書いたもので、「八幡宮」の「八」の字は、鳩の姿を形どってあるといわれている。石造りに改められた折、松花堂昭乗が行成の筆跡をそのまま書き写したものであり、惣胴板張りに金字で現されている。 (「神社 – 一般社団法人 八幡市観光協会」より)]
[一の鳥居 – 八幡鳥居の形式である。銅製の額「八幡宮」は、一条天皇の勅により藤原行成が書いたものを松花堂昭乗が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したものとされる。「八」の字は、向かい合った二羽の鳩が顔を外に向けた形に作られている。wikipedia-photo
(wikipedia・石清水八幡宮#下院(山麓)より。)]
石清水八幡宮頓宮境内図(「オープンストリートマップ」より。)
「一ノ鳥居(石清水八幡宮) – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向が石清水八幡宮一ノ鳥居です。