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離宮八幡宮
[離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は京都府乙訓郡大山崎町にある神社。石清水八幡宮の元社にあたる神社。八幡大神を祭神とする。
貞観元年( 859 年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立された。その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったので社名を離宮八幡宮とした。また、貞観年間に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。しかし、幕末「禁門の変」時に長州藩屯所が山崎にあったため、攻撃を受けて多くの商家とともに焼失し、さらに 1871 年(明治 4 年)に境内北側を国策による鉄道事業にささげ、さらに縮小した。
惣門(高麗門)・wikipedia-photo
「鳥居、中門(奥)」・wikipedia-photo
中門(四脚門)・wikipedia-photo
「本殿・拝殿」・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、離宮八幡宮の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・離宮八幡宮より)]
山崎通分間延絵図-山崎宿(「E0028647 五海道其外分間絵図並見取絵図 – 東京国立博物館 …」より)
絵図右端街道二又が久我畷分岐、その左に大山崎の東黒門が街道両端に描かれています。黒門左方向の鳥居が山崎聖天 観音寺一の鳥居、鳥居上方向に観音寺、観音寺の左方向に宝積寺が描かれています。絵図左端の街道鍵の手の左が離宮八幡宮で、離宮八幡宮下の御車道左に道標が描かれ、そこの下方向に山城 摂津国境と読み取れ、そこの左が関大明神社になります。
離宮八幡宮境内図(「オープンストリートマップ」より。)
資料リンク
「都名所図会」・「巻之四 右白虎再刻 離宮八幡宮」、「巻之四 右白虎再刻 離宮八幡宮解説」
離宮八幡宮(拡大図)
[図会左ページに離宮八幡宮、右ページ上に山崎聖天 観音寺が描かれています。]
左義長(とんど祭)・1月15日
「年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「爆竹之図」(1-36)
「三月十日山崎離宮八幡神楽之図」(3-20)
カメラ北方向が離宮八幡宮惣門です。
平面図 20 – 32 番までの境内地のカメラです。