マーカーは開口神社です。
開口神社
[開口神社(あぐちじんじゃ)は、大阪府堺市堺区にある神社。通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。堺は与謝野晶子の生誕の地でもあることから、開口神社では「晶子恋歌みくじ」が用意されている。
天平16年(744年)には行基によって境内に薬師如来を本尊とする密乗山念仏寺が建立されるが、やがて神仏習合化が進み、当社の神宮寺となった。平安時代には空海の影響で念仏寺は真言宗の寺院となるが、空也ともゆかりがあり、密教や浄土教の道場にもなって活況を呈し、念仏寺は「大寺」と通称されるようになり定着するに至った。
天文4年(1535年)には念仏寺の築地修理料として堺南荘の豪商110余名が一人当たり一貫文ずつの銭を寄進しているが、このなかには茶人の武野紹鴎、千利休(「せん与四郎」名義)、奈良春日神社(春日大社)の石灯籠にも名を残す魚屋弥次郎といった有名人の名も記されている。これら豪商から選ばれた10数人が納屋衆、会合衆となって堺の自治組織の運営に当たり、開口神社の祭礼で重職を勤めたのである。
明治に入ると神仏分離令によって念仏寺は廃寺となるが、寛文3年(1663年)に建築された三重塔はそのまま残された。
1945年(昭和20年)7月10日に行われた第6回大阪大空襲(堺大空襲)により本殿や三重塔など悉く焼失したが、貴重な記録類は被害を免れた。現在の社殿は1961年(昭和36年)の再建である。南側には宿院があり、住吉大祭の神輿の御旅所となっている。
拝殿・wikipedia-photo
(wikipedia・開口神社より)]
「和泉名所図会. 巻之1-4 / 秋里籬嶌 [著] ; 竹原信繁 画」 – 「三村社大寺(1巻24)」
「住吉名勝図会. 巻之1-5 / [秋里籬島] [著] ; 玉山 [画]」-「5巻7・三村大明神社 密乗山大念佛寺」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 堺大絵図改正綱目・享保20(1735)年」(堺大絵図改正綱目.pdf)(コマ番号3/3・絵地図中央、大小路下に念仏寺・大寺と記述されています。
開口神社参道前のカメラです。
開口神社境内のカメラです。