大雄寺

マーカーは大雄寺です。

大雄寺
[もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。
大雄寺山門(画像リンク)
「飛騨匠の祖」として崇敬を集める飛騨権守(ひだごんのかみ)・藤原宗安(ふじわらむねやす)の直系とされ、優れた彫刻を特徴とした水間相模(みずまさがみ)の建築。
大雄寺鐘堂(画像リンク)
1689年2月に建てられた飛騨地方最古の鐘楼。
江戸時代前期より活躍する大工の家系、松田家 松田又兵衛(まつだまたべえ)作。  (「大雄寺|高山市観光情報」より)]

大雄寺山門
[大雄寺は、もと吉城郡上広瀬村(国府町)にあったが、金森氏入国後現在地に移され、浄土宗の道場となった。上広瀬には「大雄寺屋敷」という地名が残っている。『飛州志』
市内唯一の楼門造で、法華寺宗猷寺の本堂と共に東山伽藍の代表的な建物である。
12本の丸柱は太く、カツラ材である。落し込み板で囲まれた仁王座前の南北が、透し菱形欄間になっている。透しを通して東山の景観を見せようとの配慮からである。両脇に仁王像を安置している。
下層柱間より逓減(次第に減る)された柱頭に、二手先和様斗★が深い飛檐(ひえん)軒を支え、下層屋根上に三斗(みつと)組腰組で縁を張り出し、高欄で四面を囲む。ここからの市内の眺めはすばらしい。
寛政3年(1791年)の大風で倒壊したが、17年後の文化4年(1807年)、飛騨権守宗安(ひだごんのかみむねやす)の流れをくむ近世の名工水間相模(みずまさがみ)の手で再建された。  (「大雄寺山門|高山市」より)]

東林山大雄寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が大雄寺山門です。

カメラ北方向が大雄寺本堂で、カメラ南西方向が大雄寺山門です