景観重要建造物(山桜神社火の見櫓)

マーカーは山桜神社火の見櫓です。

景観重要建造物(山桜神社火の見櫓)
[指定番号 第7号 (平成27年7月27日指定)
所在地:高山市本町2丁目65
宮川に架かる柳橋西詰交差点近くの街中に建てられた木造の火の見櫓。明治年代に建造されたといわれ、昭和7年に現在の場所に移築された。山桜神社社殿の南側建物の上に櫓を組んでおり、櫓部分の高さは7m。頭部に宝形造の見張小屋を置き、明治14年製造の半鐘を吊っている。神社の絵馬市とともに親しまれており、商店街のシンボルとして良好な景観形成に貢献している。  (「景観重要建造物の指定について|高山市」より)]

山桜神社
[山桜神社(やまざくらじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社である。鎮火、火の用心、家内安全、無謀息災、商売繁盛、交通安全にご利益があるという。地元では「馬頭さま」と呼ぶ。毎年8月1日~15日には「馬頭の絵馬市」が開催され、にぎわう。
境内の火の見櫓は、1854年(嘉永7年)に火消しの「馬頭組」が建設されたもので、1878年(明治11年)頃再建し、1936年(昭和11年)に現在地に移転したもので、木造鉄板板ぶきの三層構造である。2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されている。
●祭神の山桜とは、江戸時代初期に実在した馬の名前である。飛騨国大野郡小八賀郷池之俣村(現・高山市丹生川町)の野生の馬で、高山城城主金森頼直に献上され頼直の愛馬となる。1657年(明暦3年)の明暦の大火では、高山藩江戸屋敷が火に包まれてしまったのを、山桜は百間堀を飛び越えて、頼直を救ったという。言い伝えでは、頼直と家臣3人の計4人を一度に乗せて走ったという。
●山桜はその功績により、晩年は中向町(現在の高山市本町2丁目)に厩舎をあてがわれた。山桜が死亡すると遺骸は火葬にされ、松倉山の山麓に葬られた。この厩舎の跡には社殿が建てられ、山桜神社として創建される。創建時期ははっきりしていないが、金森頼直の生前と伝えられており、1657年(明暦3年)~1665年(寛文5年)と推測される。
●山桜は江戸から高山に戻った際、病気にかかってしまったという。山桜の病気は松倉城城主の姉小路氏の祟りとされ、松倉城跡付近の松倉大悲閣(通称・松倉観音)に元々祀ってあった馬頭観音(普段は飛騨三十三観音霊場の素玄寺に祀ってある)を修復したところ山桜の病気が治ったという。
●1936年(昭和11年)、境内の拡張と社殿を改築する。このさい、火の見櫓を境内に移築する。
山桜神社・wikipedia-photo  (wikipedia・山桜神社より)]

山桜神社 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向に景観重要建造物(山桜神社火の見櫓)があります。

カメラ西南西方向が山桜神社参道です。