マーカーは松本家住宅です。
松本家住宅
[明治8年、二之町で出火した火災は、寺院、町家など1,032戸を焼失しました。しかし、町はずれにあった松本家住宅は火災をまぬがれています。高山を代表する一般的な商家であり、最も古く貴重な建物です。
所在地 – 高山市上川原町125
電話 – 0577-36-5600
利用料金 – なし
営業時間 – 午前9時から午後4時30分
休日 – 毎週月から金曜日、12月28日から1月4日
(祝日・春の高山祭は臨時開館の場合があります) (「松本家住宅|高山市観光情報」より)]
[高山市は明治8年に大火に遭い多くの町家が類焼したが、松本家住宅はこの類焼をまぬがれ、高山市内にある町家の中では最古のものに属する。主屋の建設年代は主屋裏手にある漬物蔵窓框に「文政九年戌四月廿七日出来」の墨書がみられることから、そのころと推定される。
松本家は高山近郷の旧灘村松本の出身で弘化年間に高山に文掌し、以後蝋燭業を営んだ。現住宅は明治45年薬種商原三右衛門より譲りうけたという。この住宅は主屋のほか背面北に米蔵、西に漬物蔵があってそれぞれ前庇が連なり、また主屋の通り庭から漬物蔵に両下造の通路がつくられてコの字状に主屋裏の中庭を囲んでおり、近世末の高山の標準的町家の屋敷構えが完存している。
主屋は切妻造[きりづまづくり]2階建で、正面には「ノレンカケ」を下げるむくり屋根の小庇や出格子などがみられ、高山の民家の典型的な外観を示す。内部は通り庭に沿って「ミセ」の裏に奥行2間の「オエ」「ダイドコロ」が広舗上に設けられるので、小屋裏までが吹抜けになり、梁組をそのままみせる。奥の部屋は表側に「オクミセ」、続いて「カズキ」「ブツマ」「ザシキ」と4室並ぶ配置で前後の部屋に1間の食い違いが生じている。
松本家住宅は、主屋の年代が19世紀初期にさかのぼる数少ない高山の町家であり、また、標準的な屋敷構えが遺っており、その価値は高い。 (「岐阜県:松本家住宅[まつもとけじゅうたく]」より)]
カメラ北西方向が松本家住宅です。