まぶたさん(麻福田丸)地蔵

マーカーはまぶたさん(麻福田丸)地蔵です。

[山直上駐在所の東(※西)、旧道に「まぶたさん(麻福田丸)とよばれているお地蔵さんがあります。この付近が奈良時代の七賢人のひとり智光上人の出生地と言われています。
山直南小校区歴史マップへリンク」  (「蓮華光寺跡稲葉町358-1番地付近」より)]

[和泉(いずみ)がまだ河内から分かれなかった1,200年ほど前、稲葉(いなば)の里に、長者(ちょうじゃ)が住んでいた。その広い屋敷に、ひとりの美しい娘がいた。長者は、それはそれは可愛がり、欲しいというものはすぐに買ってやり、いろいろな習い事をさせるなど、大事に大事に育て外に出すことはなかった。娘は特に琴が大好きで、朝夕牛滝川のせせらぎにあわせて弾(ひ)くその音色(ねいろ)は、人々をうっとりさせた。村の若者達は、その美しさを噂(うわさ)するが、誰も姿を見たことはない。
 長者の屋敷の近くに、貧しい親子が住んでいた。子どもは麻福田麿(まふくだまろ)といい、若者達と同じように、長者の娘の弾く琴の音に魅(み)せられて、美しい娘を思い浮かべようとするが、それは無駄なことである。
 「何とかして、美しいその娘を一目みたいものだ」
 といろいろ試(こころ)みたが、広い屋敷でなかなか願いはかなわなかった。
 その日も、美しい琴の調べにひかれて長い塀(へい)に沿って歩くうちに、今まで来たことのなかった、大きな樹が塀にそってたっている所に来ていた。麻福田麿は辺(あた)りを見回し、思い切ってその樹にのぼった。
 広い座敷の中に娘が一人、手元を見ながら一心に琴を弾いている。
 ―なんという美しさだろう。こんな娘(ひと)がこの世にいるだろうか―
 麻福田麿は吸いよせられるように娘を見つめた。
 その日から、麻福田麿は口もきかず、壁(かべ)に向いたまま食事もせず、母親が話しかけても返事はない。その内とうとう病の床(とこ)についてしまった。それを心配した母親まで寝込むようになった。
 友達も心配して見舞いにやって来た。隣の部屋に寝ていた母親が、
 「息子がこんなになったわけを聞いてほしい」
 と頼んだ。友達がいろいろ話しかけ聞いてみたが、麻福田麿は応(こた)える元気もない。しかし入れかわり立ちかわり話すうちに、あの娘のことだとわかった。
 ―息子がどんなに思っても、こればかりは―
 と、母親は諦(あきら)めさせるほかなかった。

 いつしかそのことを耳にした長者の娘は、
 ―私のためにその親子が死ぬようなことになっては大罪である。何とか元気を取り戻してほしい―
 と心を痛め、
 「周りの者から貴男(あなた)のことを聞きました。早く元気になって下さい」
 と使いをやった。これを聞いた親子はたちまち元気になり、床をあげて出歩(である)けるようになると、娘はまた
「秘密のことは文(ふみ)に書かねば相手に解(わか)りません。貴男(あなた)は筆を使えるようになり、私に想(おも)いを伝えてください」
 と励ましの言葉を伝えた。なるほどと思った麻福田麿は、近くの能筆家(のうひつか)に通(かよ)って一生懸命に学んだ。その甲斐(かい)あって、1年もすると頼まれた手紙を書けるまでになった。
 すると、また使の者が来て、
 「私に近付くには、お坊さんになるのが一番です。どうかお坊さんになって下さい。」
 と伝えた。なるほどと納得(なっとく)して僧の修行を続けると、
 「例えお坊さんになっても、高僧(こうそう)でなければ誰も呼びますまい。一層の修行を―」
 との伝言(でんごん)があった。
 「都に出て立派な僧になり、早く呼ばれるようにならなければ、あの人に申し訳がない。よし、都へ行くことにしよう」
 この決心を知った長者の娘は余りにも哀(あわ)れに思い、自(みずか)ら藤袴(ふじばかま)を織(お)って届けさせた。麻福田麿は感激して都へ出た。
 日夜修行に励み立派な僧を目指して数年経(へ)た頃、風のたよりで娘の訃報(ふほう)を耳にした。
 ―ああ、なんということだ。立派な僧になった私を見てほしかったのに……
 しかし、あの人の励ましがあって今日の私があるのだ。こんなに早く亡(な)くなったのは悲しいが、お弔(とむら)いをし、立派になることでお応(こた)えしよう―
 麻福田麿はいっそう勉学(べんがく)に励み、やがて都に知らぬ者もない高僧になった。その名も智光法師(ちこうほうし)と称(しょう)し、多くの人の崇敬(すうけい)を集めた。  (「岸和田のむかし話7 牛滝川周辺の話・(7)麻福田麿の恋(稲葉)」より)]

和泉名所図会. 巻之1-4 / 秋里籬嶌 [著] ; 竹原信繁 画」 – 「麻福田丸戀路(3巻33)

[麻福田丸戀路
拾遺
恋つゝもけふは有なん玉くしけ
 あけんあしたをいかて暮さん]

カメラ西方向金網フェンス内がまぶたさん(麻福田丸)地蔵です。