マーカーは七宮神社です。
七宮神社
[七宮神社(しちのみやじんじゃ)は神戸市兵庫区七宮町に鎮座する神社。生田裔神八社の一社。「白藤家記録」に七宮神社は「延喜式」の八部郡汶売神社とある。主祭神である大己貴命は、大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神の七つの御名を称えて七宮神社という。
神功皇后三韓征伐凱旋の時、大国主神を山の尾の波打ち際に奉斎。また、会下山方面の山麓に衆落を作っていた時代に、北風家が祀つた神が兵庫に移ったともいわれる。
応保元年(1161年)、経が島築造で難航した平清盛は、家臣阿波民部重能の進言を受け、社殿を造営。以後平家一族の崇敬が篤かった。
天正10年(1583年)1月19日、正親町天皇より七宮大明神の勅額及び三種の神宝の絵画を下賜される。
慶長7年(1602年)8月、片桐且元・大久保長安が社殿造営の用材・太刀等を奉納。
享保20年(1735年)には繁華街を成し、各地の船舶業者が難を避けて当社に祈願した。
元禄5年(1692年)10月の指出帳に「七ノ官大明神除地、真言宗高野山学侶方蓼上普門院末寺、神宮寺社僧 眞栄」とあり、明治維新まで真言宗の神宮寺の社僧がいた。
寛政11年(1799年)西出町に住居していた廻船業を営む高田屋嘉兵衛は江戸幕府の命で巨船を造り、国後島・択捉島に向うに先だち、模型船3隻を献納して海上安全を祈願した。
昭和20年(1945年)神戸大空襲により、宝物等の全部を焼失。
七宮神社鳥居・wikipedia-photo
(wikipedia・七宮神社_(神戸市)より)]
佐比江町
[昔湊川(旧)に接する東に俗に船入とやばれる小港があり、かつて兵庫の入口にあたり、多くの娼家があった。「清からぬ入り江」の意味で「さび江」と呼ばれたという。 (wikipedia・佐比江町より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「10巻24・兵庫七宮」
カメラ位置は七宮交差点で、カメラ南方向に七宮神社、カメラ北方向が佐比江町になります。
七宮神社参道前のカメラです。