マーカーは三島鴨神社です。
三島鴨神社
[三島鴨神社(みしまかもじんじゃ)は、大阪府高槻市にある神社。式内社論社で、旧社格は郷社。社伝では、伊予の大山祇神社、伊豆の三嶋大社とともに「三三島」と呼ばれたという。また、日本で最初の三島神社(山祇神社)としている。ただし17世紀以前は「幾島大明神」と称した。
創建は不詳。当社は元々淀川の川中島(御島)に祀られていたといい、社伝では仁徳天皇が茨田堤を築くにあたって、淀川鎮守の神として百済から遷り祀られたという。
国史では、『日本三代実録』元慶8年(884年)12月21日条に、「摂津国三島神」に対して正六位上から従五位下の神階を授けたという記述がある。また延長5年(927年)編纂の『延喜式神名帳』には、式内社として「摂津国島下郡 三島鴨神社」の記載があり、その論社とされる。ただし、上記のいずれも、他の論社として高槻市赤大路町の鴨神社も指摘される。
式内社の比定に関して、当社は島上郡の位置、赤大路町の鴨神社は島下郡の位置とみられ、郡域としては後者の鴨神社が有力視される。また、当社が古くは「幾島大明神」と称したことも、当社を比定しない根拠の1つとされている。一方で、『伊予国風土記』逸文で大山積神の別称として「和多志(渡し)の神」と記すことから、河川から離れた鴨神社はこれに当たらないという指摘もある。いずれにしても、現在も特定には至っていない。
当社は、元々は淀川の中洲である川中島(御島)にあったとされる。しかしながら慶長3年(1598年)の淀川堤防修築の際に現在地に移されたという。元和5年(1619年)には、高槻藩主・松平家信から2石が寄進された。
明治に入り、近代社格制度では郷社に列した。
大鳥居・wikipedia-photo
本殿・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、三島鴨神社の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・三島鴨神社より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「6巻40・玉川三嶌鴨神社」
三島鴨神社鳥居前のカメラです。
三島鴨神社拝殿前のカメラです。
カメラ北東方向が三島鴨神社本殿で、カメラ南東方向が拝殿です。