「花の御所」石敷き遺構

マーカーは「花の御所」石敷き遺構です。

「花の御所」石敷き遺構
[ここでは、寒梅館の北東隅で発見された石敷き遺構の実物とレプリカを並べて展示しています。この展示は、実物の遺構が見つかった場所で見られる京都市内では初めての本格的な施設です。実物の石敷き遺構を見ることができるのは東側の小さなのぞき窓からだけで、西側の大きなのぞき窓の下にはレプリカが展示されていますが、その下には出土した状態のままの石敷きが残されています。この石敷き遺構は、足利義詮が造営した「室町殿(花の御所)」のものと考えられ、吉田神社から勧請された鎮守社と、その南を区切る築地塀の基礎と思われます。そのほかに、石敷きの西方から見つかった、足利義詮以前の「室町殿」の一部と思われる石組の水路遺構もあわせて展示しています。  (「第41回 : 寒梅館の歴史展示案内 vol.1 – 同志社大学 歴史資料館」より)]

[花の御所(はなのごしょ)は、現在の京都府京都市上京区にあった足利将軍家の邸宅の通称であり、敷地は東側を烏丸通、南側を今出川通、西側を室町通、北側を上立売通に囲まれた東西一町南北二町を占めた。
元の室町家の花亭と今出川家の菊亭を併せて1つの敷地としたため、広大な敷地を有する邸宅となった。
現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある同志社大学・寒梅館以南に位置していた。名残としては、邸内に建てられた岡松殿に始まる大聖寺が現存する。
室町通に面して正門が設けられたことから室町殿、室町第とも呼ばれた。この将軍の居所にちなんで足利将軍(家)の事を「室町殿(室町家)」と呼ぶ時もある。更に古くより将軍の居所は「幕府」と呼ばれる事があり、すなわち「室町幕府」である。江戸時代中期より武家政権の名前として幕府の用語が使われるようになり、足利家の政権を「室町幕府」と呼称するのはこれに由来している。また、北小路室町にあることから北小路亭とも呼ばれた。ちなみに北小路とは現在の今出川通のことである。  (wikipedia・花の御所より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 中昔京師地圖」(コマ番号2/4・絵図中央付近、相国寺下左に「将軍室町殿 花御所旧知」と描かれています。)

京師地圖 : 全 : 中昔 – 所蔵地図データベース」(左絵図・絵図中央付近、相国寺下左に「将軍室町殿 花御所奮知」と描かれています。)

室町殿石敷遺構 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向塀の向こうが「花の御所」石敷き遺構です。