三春藩秋田家京屋敷跡

マーカーは三春藩秋田家京屋敷跡です。

秋田映季
[秋田 映季(あきた あきすえ)は、安政5年(1858年)2月1日、陸奥三春藩第10代藩主・秋田肥季の次男として生まれる。慶応元年(1865年)8月5日、父の死去により家督を相続した。幼少のために叔父の季春が後見し、藩政を取り仕切った。慶応3年5月4日、江戸を出発し、三春に向かう。
慶応4年(1868年)4月4日、奥羽鎮撫総督府から会津出兵への準備を命じられる。閏4月1日、庄内出兵を命じられる。閏4月3日、藩兵の少なさを理由に庄内出兵を辞退し、会津出兵のみにすることを願う。その後、奥羽越列藩同盟の結成にともない、小藩のために主体的な行動を取れず、新政府側と袂を分かつことになる。7月26日、新政府軍の侵攻にともない降伏する。河野広中らが藩論を転換させたという。8月7日、謹慎をとかれる。明治2年(1869年)6月の版籍奉還知藩事となり、明治4年7月(1871年)の廃藩置県で免官された。  (wikipedia・秋田映季より)]

秋田季春
[秋田 季春(あきた すえはる)は、第9代三春藩主秋田孝季の次男として生まれる。慶応元年(1865年)5月兄の肥季の死後、跡を継いだその子の秋田映季に執政として後見をし藩政をみる。戊辰戦争では当初奥羽越列藩同盟側にあったが戦い不利と悟り、密使を送り新政府側に帰順、藩主映季とともに板垣退助を迎えた。会津藩攻めに藩士松井惟睡を従軍させ、降服後の会津藩主松平容保父子の幽居を警護をさせた。  (wikipedia・秋田季春より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(明治元年・1868年)」(絵図四つ切左上・堀川左、出水通/松原通左上に三春と記述されています。)

カメラ位置は出水通/松原通交差点で、カメラ北西方向が三春藩秋田家京屋敷跡になると思われます。