マーカーは俵屋吉富 (京菓子資料館)です。
俵屋吉富
[大正13年に継承後、昭和8年に現在地に新築。70数年間、改築を経て現在に至っています。古くは「花の御所」の北辺に位置する室町の地。この西陣に溶け込んだ京都らしい店構えは、長らく地元の皆様のご愛願を賜っております。店舗には茶室「一釣庵」と「坪庭」を併設。 (「俵屋吉富ホームページ – 直営店のご案内」より)]
沿革
●1745年 (延享2年) – 藤野別惣左衛門二男、惣兵衛京都に移住し、俵屋惣兵衛と称し、雑穀商を営む。
●1755年 (弘化2年) – 播磨大掾となる。御室御所より澤屋播磨一房の名を賜る。
●1862年 (文久2年) – 蛤御門の戦いにおいて類焼。
●1924年 (大正13年) – 石原留治郎、俵屋を継ぎ、俵屋惣兵衛両家の暖簾を掲げ、播磨大掾俵屋惣兵衛一房吉富と称し、屋号を俵屋吉富と称す。
●1933年 (昭和8年) – 室町上立売上る頭町に本店を新築し、禁裏菓子御用司としてつとめる。
●1942年 (昭和17年) – 第二次世界大戦による企業統制が行われ止む無く休業。留治郎は西ノ京において有限会社日本菓量を設立。京都師団の指定工場として軍用菓子を製造する。
●1949年 (昭和24年) – 現住所にて京菓子業を再開。 (「俵屋吉富ホームページ – 沿革」より)]
[今回は京都御所近くにある和菓子屋の俵屋吉富さんにいってきました。ここでは無料で京菓子資料館を見学することができます!同志社大学を横目に見つつ、数分歩くと見えてきました!構えがなんとも京都らしい…!まずは二階にある京菓子資料館を見学。中の写真は撮れないのですが、和菓子の歴史についての展示は非常に興味深い内容でした。昔献上されたという砂糖菓子で作られた牡丹や梅、松などの糖芸菓子があり、その美しさとクオリティに一同興奮。昔は砂糖が薬として用いられていたことや、羊羮や饅頭は鎌倉時代にお坊さんが持ち帰ったことなどを知ることが出来ました。他にも落雁(らくがん)がどうやって作られるか、昔の御菓子カタログや御菓子屋さんの看板などもありました! 京菓子というのは、貴重な白砂糖を使うため限られた身分の人しかたべることができなかったそうです。小さな展示室ですが、内容は濃く深くとても充実しています。さて、勉強をしたところで一階のお茶室で和菓子を頂きました! 三種類の和菓子から好きなものを選べます。 (「京都会⑱ 俵屋吉富さんに行って来ました! | bixko|京都造形芸術大学」より)
入 館:無 料
お茶席:700円/お一人様(※季節の生菓子、または展示関連菓子とお抹茶)]
カメラ東方向が俵屋吉富本店です。
京菓子資料館のストリートビューです。