マーカーは養源院です。
光源院
[光源院は相国寺28世元容和尚の塔所で、応永28年(1421)に創建され、広徳軒と称しました。師は2世普明国師に法を嗣ぎ、同年8月12日入寺、同32年(1425)3月17日示寂。永禄8年(1565)足利義輝が死去してその菩提寺となり、義輝の院号により光源院と改称します。もとの光源院は現今の東にあり、天明の大火を免れますが、明治18年(1885)その建物を毀ち、同29年(1896)善應院に合併し、善應院を廃して光源院と改めました。因みに善應院は慶長9年(1604)7月、備前候池田輝政が先妣善應院殿を葬り、よってその香火所として創建した所です。昭和63年(1988)には本堂、庫裡を改修し、新粧なった本堂の仏間十二面の襖には日展特選作家、水田慶泉画伯が構想を練って、約半年がかりで描き上げた禅宗寺院にも珍しい干支を配した襖絵が描かれています。 (「相国寺ホームページ – 光源院」より)]
光源院山門前のカメラです。