マーカーは今出川通/寺町通交差点です。
「御土居・京の七口」トップページへ
[江戸時代の寺町今出川は大原口といわれる重要な辻でした。北へ行けば出町を経て大原から若狭への街道,東は鴨川を越えて白川越(山中越)につながるという交通の拠点で,南と西は京の市街地へとつながります。
慶応4年(1868)4月,地元の人たち19名によって立てられたことが銘記でわかり,4面に方角とともに22か所もの目的地名が距離とともに示されていて,道標としての最大限の条件が整っています。良質の花崗岩に流麗な文字が刻みこまれた姿は,年代としては新しいものながら,全国的に見ても最も優れた美しい道標といっても過言ではないでしょう。
三条白川橋,五条別れ,吉田本町,北白川西町の道標とともに,史跡として京都市登録文化財になっています。路傍の文化財として大切にして行きたいものです。 (「上京区の史蹟百選/大原口道標」より)]
[所在地 上京区今出川通寺町東北角
位置座標 北緯35度01分45.1秒/東経135度46分04.4秒(世界測地系)
建立年 慶応4年
建立者 須磨屋伊兵衛他18名
寸 法 高168×幅41×奥行40cm
碑 文
[東]
須磨や伊兵へ
下かも 五丁 比ゑい山 三り 若松や安兵へ
金屋久兵へ
東 吉田 十二丁 黒谷 十五丁 相模や宗助
八尾や与助
真如堂 十四丁 坂本越 三り 福枡や伊兵へ
出石や熊吉
大和や常七
[南]
かう堂 九丁 六角堂 十九丁 丹波や安兵へ
同 与兵へ
南 六条 卅五丁 祇園 廿二丁 新米や幸三郎
清水 廿九丁 三条大橋 十七丁
[西]
内裏 三丁 北野 廿五丁
西 金閣寺 三十丁 御室 一り十丁
あたご 三り
[北]
丹波や市兵衛
上御霊 七丁 上加茂 三十丁 近江や太四郎
北 亀や正五郎
くらま 二り半 大徳寺 廿三丁 竹本天喜
若さや常次郎
今宮 廿六丁 慶応四辰年四月 岡野金兵衛
若さや九郎助
山城や市兵へ
調 査 2002年2月25日 (「KA098 大原口【道標】 – 京都市」より)]
カメラ北方向に大原口道標があります。