大報恩寺

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    国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図中央右方向に釈迦堂 大報恩寺が描かれています。)

    大報恩寺
    [大報恩寺(だいほうおんじ)は京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。山号は瑞応山(ずいおうざん)。通称千本釈迦堂。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。
    鎌倉時代初期の安貞元年(1227年)義空によって創建された。 義空は藤原秀衡の孫で叡山で修行の後ここを建立した。 本堂は摂津の材木商の寄進をうけ完成した。本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている(後述)。 倶舎宗(くしゃ)・天台宗真言宗の三宗兼学を朝廷より許された。 この本堂は応仁の乱、文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっている。大報恩寺には近隣の北野天神(北野天満宮)門前にあった「北野経王堂」の遺物も保管されている。北野経王堂は、足利義満明徳の乱山名氏清の乱)の戦没者を悼んで応永8年(1401年)に建立したものであったが、明治初年の神仏分離によって破却された。
    おかめの物語
    本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし、その結果無事に竣工させることができた。しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。
    年中行事
    節分会 – おかめ節分ともいわれ2月の節分におかめ塚で豆まきがおかめ音頭などが行われる。
    ●千本の釈迦念仏 – 遺教経会ともいわれる。二世の如輪により文永年間に始められた。吉田兼好徒然草にも記録がある。
    ●大根焚き – 12月7日・8日に行なわれる成道会法要。鎌倉時代に、当寺の僧・慈禅が、法要の際に大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされ、今日では、この大根を食べると中風など諸病除けになるとされている。
    境内
    ●本堂(国宝) – 入母屋造檜皮葺。桁行(正面)五間、梁行(側面)六間で、正面に一間の向拝を設ける(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を指す)。安貞元年(1227年)の上棟。京都市内では数少ない中世建築で、洛中では最古の建物である。
    ●霊宝殿 – 本堂の西側奥に建つ。本尊釈迦如来坐像以外の重要文化財の仏像はここに安置されている。
    本堂(釈迦堂、国宝)・wikipedia-photo、おかめ像・wikipedia-photo、「釈迦堂内の多数の面、人形の一つ」・wikipedia-photo  (wikipedia・大報恩寺より)]

    千本釈迦堂の阿亀桜 – 巨樹と花のページ」、「千本釈迦堂 おかめ桜

    大報恩寺(千本釈迦堂) – Google Map 画像リンク」、「大報恩寺本堂 – Google Map 画像リンク」、「稲荷社 – Google Map 画像リンク」、「北野経王堂(太子堂) – Google Map 画像リンク」、「おかめ塚 – Google Map 画像リンク

    山門前のストリートビューです。

    枝垂桜前のストリートビューです。

    本堂前のストリートビューで、カメラ南南東方向に枝垂桜があります。