マーカーは大応寺です。
「国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図中央・大覺寺右に後花園院陵墓 大應寺と描かれています。)
大応寺
[金剛山と号し、臨済宗相国寺派に属する。この地は九世紀初頭、壇林皇后によって悲田院(病人・貧窮者・孤児の救済施設)が建てられ、文明2年(1470)後花園天皇が没したとき、その遺骸が火葬されたところでもある。応仁の乱後、久しく荒廃していたが、天正14年(1586)に虚應和尚がその由緒ある遺跡を惜しんで、一宇を建立したのが当寺の起こりである。 堂宇は度々火災にあい、現在の建物は文化5年(1808)以後の再建である。本堂内には、本尊として釈迦如来、脇侍に迦葉・阿難を安置するほか、後花園天皇の念持仏という観世音菩薩像を祀る。 (「京都観光Navi:大応寺」より)]
「都名所図会」・巻之一 平安城再刻 大応寺、巻之一 平安城再刻 金剛山大応寺 (大応寺)解説
カメラ東方向が大応寺西門です。