大聖寺

マーカーは大聖寺です。

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図中央左方向、相国寺上の右に、大聖寺宮が描かれています。)

大聖寺
[大聖寺(だいしょうじ)は、京都市上京区にある寺院。花の御所、すなわち室町幕府の跡地の一部を占める。宗旨は臨済宗系の単立。山号は岳松山。本尊釈迦如来。御寺御所とも称する、天皇家ゆかりの尼門跡寺院である。非公開のため拝観不可。
開基は無相定円禅尼。無相定円は俗名を日野宣子といい、足利義満正室・日野業子の叔母であり、光厳天皇の妃である。同人は貞治7年(1368年)、光厳天皇の法事が天龍寺で行われた際、春屋妙葩を導師として落飾(出家)した。足利義満は花の御所(足利将軍邸)内の岡松殿に無相定円を住まわせた。無相定円が永徳2年(1382年)に没した後、岡松殿を寺にしたのが大聖寺である。寺号は無相定円の法名に因み、山号の岳松山は岡松殿に由来する。
寺はその後、長谷(ながたに、現・左京区岩倉長谷町)に移転し、さらに文明11年(1479年)には毘沙門町(現・上京区上立売通寺町西入る)に移転した。寺は延宝元年(1673年)に焼失し、元禄10年(1697年)に現在地に再興された。現在地はもと聖護院のあったところで、同院が延宝3年(1675年)に焼失し、現在の左京区に移転した跡地に大聖院が再興されたものである。
正親町天皇の皇女が入寺した際、天皇から尼寺第一位の綸旨を得、御寺御所と称される尼門跡寺院となっている。
大聖寺 2013年京の冬の旅特別公開・wikipedia-photo  (wikipedia・大聖寺_(京都市)より)]

花の御所
[臨済宗相国寺派門跡尼院大聖寺一帯の地は,室町幕府三代将軍足利義満(1358~1408)が造営した将軍家の邸宅跡で幕府が置かれた。北は上立売通,南は今出川通,東は烏丸通,西は室町通に囲まれた東西一町,南北二町の規模であった。仙洞御所や公家邸宅の跡地に造営され,邸内の樹木苑地が美しかったことから花の御所とも称された。応仁元(1467)年,戦火で焼失,文明年間(1469~87)に再建したが再び焼失した。この石標はその跡を示すものである。
所在地 上京区烏丸通今出川上る西側(大聖寺内)
位置座標 北緯35度01分50.8秒/東経135度45分32.8秒(世界測地系)
建立年 1995年
建立者 花山院慈薫(春岳)
寸 法 高163×幅110×奥行60cm
碑 文
[西]
花乃御所
[東]
平成七年五月十四日
大聖寺門主
春岳
調 査 2002年12月18日  (「KA001 花の御所 – 京都市」より)]

(室町幕府)跡 – 京都じっくり観光

国立国会図書館デジタルコレクション – 中昔京師地圖」(コマ番号2/4・絵図中央付近、相国寺下左に「将軍室町殿 花御所旧知」と描かれています。)

京師地圖 : 全 : 中昔 – 所蔵地図データベース」(左絵図・絵図中央付近、相国寺下左に「将軍室町殿 花御所奮知」と描かれています。)

大聖寺門跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が大聖寺山門です。

大聖寺山門内のカメラです。