マーカーは山紫水明處(国定史跡)です。
頼山陽山紫水明処
[頼山陽(1780~1832)は,晩年邸宅をこの地に構え『日本外史』などの執筆活動に励み,詩会や茶会を催した。邸宅水西荘の敷地内に建てた書斎は鴨川に面し,東山を望む風光明媚な景観に因んで山紫水明処と呼ばれた。この石標は書斎山紫水明処を示すものである。大正11年に史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟に指定され,現在は「頼山陽書斎(山紫水明処)」として国指定史跡。
所在地 上京区東三本木通丸太町上る東側
位置座標 北緯35度01分04.9秒/東経135度46分13.1秒(世界測地系)
建立年 1916年
建立者 京都市教育会
寸 法 高118×幅19×奥行18cm
碑 文
[西]
頼山陽山紫水明処
[北]
寄附者 荒川益次郎
[東]
大正五年五月建之 京都市教育会
調 査 2002年2月4日 (「KA065 頼山陽山紫水明処 – 京都市」より)]
「頼山陽書斎山紫水明處 – Google Map 画像リンク」
カメラ北東方向が山紫水明處(国定史跡)門です。