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「国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図四つ切左上、梶井御門跡右に本禪寺が描かれています。)
本禅寺
[本禅寺(ほんぜんじ)は、京都府京都市上京区にある寺院。法華宗陣門流の京都本山。山号は光了山。塔頭が三院ある(心城院、詮量院、玄妙院)。
本禅寺は1406年(応永13年)、法華宗陣門流の門祖日陣によって四条通堀川に創建された。日陣はもと本圀寺に属したが、法兄の日伝との宗論の後、本圀寺を離脱し独立した。1536年(天文5年)の法華一揆(天文法華の乱)の際は他の法華宗寺院とともに焼失し、堺に避難した。その後1542年(天文11年)に後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、堺に避難した寺々も京都に戻ったが、本禅寺はこれを2年ほどさかのぼる1540年(天文9年)、西陣桜井町に伽藍を再建した(現・上京区智恵光院通今出川上る桜井町)。
寺は1591年(天正19年)、豊臣秀吉の命により、現在の地に移転した。1708年(宝永5年)の大火と1788年(天明8年)の天明の大火で焼失したが、その都度再建されている。1839年(天保10年)には有栖川宮の祈願所となった。現存の伽藍は1852年(嘉永5年)に再建されたものである。
境内
●本堂
●釈迦堂 – 日蓮の随身仏と言われる金銅釈迦如来立像(立像釈迦牟尼仏)を安置することから立像堂(りゅうぞうどう)ともいう。釈迦像は年2回、万人講(4月上旬)と御会式(おえしき)(10月13日)の時に開帳される。
●鐘楼 – 梵鐘は豊臣秀頼が鋳造し、徳川家康が大坂の陣で陣鐘として用いたものと伝え、大久保忠教(彦左衛門)の奉納とされる。
●墓所 – 大久保忠教(彦左衛門)、画家岸駒(がんく)、俳人桜井梅室(ばいしつ)の墓がある。 (wikipedia・本禅寺より)]
カメラ東方向が本禅寺山門です。