森藩久留島家京屋敷跡

マーカーは森藩久留島家京屋敷跡です。

久留島通靖
[久留島 通靖(くるしま みちやす)は、嘉永4年(1851年)豊後国森藩11代藩主久留島通胤の長男として誕生。安政7年(1860年)閏3月11日、父の死去により家督を継いだ。文久3年(1863年)12月26日、従五位下伊予守に叙任する。慶応2年(1866年)2月21日、藩主就任以来一度もお国入りをしていないため、幕府に帰藩を願う。同年5月19日、幕府から江戸警備を命じられる。同年12月23日、幕府はようやく帰藩を許可する。
幕末期において薩摩藩と密かに接近して尊王論に傾倒し、藩論を尊王論で取りまとめた。そして慶応3年(1867年)の大政奉還後の12月13日、入京して新政府側に与している。ちなみにこれは、豊後国内で唯一の行動である。慶応4年(1868年)、西国筋郡代窪田鎮勝が日田の西国筋郡代代官所を放棄するとこれを占拠し、のちに朝廷より岡藩と共に警備を任された。
明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により知藩事に就任する。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で免官された。  (wikipedia・久留島通靖より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(明治元年・1868年)」(絵図中央上方向・堀川左、中立売通/黒門通左上に久留島と記述されています。)

カメラ位置は中立売通/黒門通交差点で、カメラ北西方向が森藩久留島家京屋敷跡になると思います。