慈雲院

マーカーは慈雲院です。

慈雲院
[長禄年間(1457~59)創建、本尊釈迦牟尼仏。開祖は、相国寺第42世勅諡興宗明教禅師(瑞溪周鳳和尚)です。師は道学兼備の碩匠にして多大の著書があり、天皇の崇敬と室町幕府の信望とを一身に集めました。第2世黙堂壽昭和尚は、相国寺に伝わる梵唄を校訂し、その音符は今に伝わっています。その中でも、『観音懺法』の聲明は第一であり、誇りとするところです。江戸期に入り、第9世梅荘顕常和尚(大典禅師)は詩文に長じて一世を風靡し、江戸幕府の信任を受けて、朝鮮修文職として多くの外交文書に携わり、しばし幕議に参与しました。師は天明の大火(1788)に遭った相国寺の復興に尽力し、再建を成し遂げたのです。また三十三幅からなる「動植綵絵」をはじめ多くの作品を世に残した天才絵師、伊藤若冲の恩師であり、その交際も親密でした。慈雲院は、当初は現在の京都産業大学附属中・高等学校になっている敷地にありましたが、明治29年(1896)に毀却し寺號を富春軒に移しました。  (「相国寺ホームページ – 慈雲院」より)]

慈雲院 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が慈雲院参道です。

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