細川政国屋敷跡

マーカーは細川政国屋敷跡です。

細川政国
[細川 政国(ほそかわ まさくに)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。細川典厩家当主。細川持春の子。
典厩家の当主・細川持賢の養子となり、応仁2年(1468年)に養父が死去したため、家督を継いで当主となった。応仁の乱では細川勝元を支持し、文明5年(1473年)に勝元が死去して幼少の嫡男・政元が家督を継ぐと、その後見人として補佐を務めた。
文明17年(1485年)、8代将軍足利義政に従って出家した。文明18年(1486年)には摂津西成郡の分郡守護に任じられている。明応4年(1495年)8月23日に死去。後を子の政賢が継いだ。  (wikipedia・細川政国より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 中昔京師地圖」(コマ番号2/4・中央左方向、西大路上に「細川政国」が描かれています。)

京師地圖 : 全 : 中昔 – 所蔵地図データベース」[左絵図・絵図中央付近、百百ノ辻(寺之内通堀川東入ル)右に「細川政国」と描かれています。]

カメラ北東方向に細川政国屋敷があり、カメラ東南東方向に細川勝元邸がありました。また、カメラ西北西方向に百々橋の礎石があります。