聚楽城鵲橋旧跡碑

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聚楽城鵲橋旧跡(じゅらくじょうかささぎばしのきゅうせき)
[聚楽第は,天正14(1586)年豊臣秀吉(1536~98)が大内裏旧跡の内野に構築した邸宅で,翌年完成した。北は元誓願寺通,東は堀川通,南は下立売通,西は千本通を外郭とし,内郭には本丸を中心に北ノ丸,南二ノ丸,西ノ丸の曲輪が築かれたと推定されている。文禄4(1595)年,秀吉は豊臣秀次(1568~95)を謀反の疑いで自害に追いやり,秀次の居所となっていた聚楽第も破却した。この石標は,聚楽城の濠に架かる鵲(かささぎ)橋の跡を示すものである。
所在地 上京区中立売通裏門西入南側
位置座標 北緯35度01分29.5秒/東経135度44分45.6秒(世界測地系)
建立年 1915年
建立者 京都市教育会  

所在地 上京区松屋町通出水上る東側(松永稲荷前)
位置座標 北緯35度01分18.3秒/東経135度44分53.0秒(世界測地系)
建立年 1932年
建立者 川見信太郎・松本吉兵衛
寸 法 高102×幅16×奥行17cm
碑 文
    [西]
    聚楽城 鵲橋乃旧蹟
    [東]
    出石郡室埴産 川見信太郎
    施主
    但馬産 松本吉兵衛
    [南]
    昭和七年十月建立
調 査 2002年3月28日  (「KA095 聚楽城鵲橋旧跡 – 京都市」)]

松永稲荷社 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向・常夜灯の右が聚楽城鵲橋旧跡碑です。

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