聚楽第跡の碑(本丸東堀跡)

マーカーは聚楽第跡の碑です。

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聚楽第址(じゅらくだいあと)
[聚楽第は,天正14(1586)年豊臣秀吉(1536~98)が大内裏旧跡の内野に構築した邸宅で,翌年完成した。北は元誓願寺通,東は堀川通,南は下立売通,西は千本通を外郭とし,内郭には本丸を中心に北ノ丸,南二ノ丸,西ノ丸の曲輪が築かれたと推定されている。文禄4(1595)年,秀吉は豊臣秀次(1568~95)を謀反の疑いで自害に追いやり,秀次の居所となっていた聚楽第も破却した。この石標は聚楽第跡を示すものである。
所在地 上京区中立売通大宮北西角
位置座標 北緯35度01分29.8秒/東経135度44分56.2秒(世界測地系)
建立年 2009年
建立者 (岡本正二)
寸 法 高120×幅18×奥行18cm
碑 文
    [南]
    聚楽第址
    [東]
    此付近大内裏及聚楽第東濠跡
調 査 2009年7月4日  (「KA152 聚楽第址 – 京都市」)]

[1992年(平成4年)、西陣公共職業安定所(ハローワーク西陣・大宮通中立売下ル)の建て替えにともない、本丸東堀跡が発見され金箔瓦約600点が出土した。本丸側から投棄されたように層状に堆積していたため、本丸の建物に葺かれていた瓦と考えられる。2002年(平成14年)国の重要文化財に指定された。  (wikipedia-聚楽第より)]

[1991年の発掘調査で東堀跡が発見されました。幅約26m、深さ8m以上の大規模な堀であることが調査で確認されました。堀を埋めた礫を多く含む埋土は、堀を掘削した時に出た排土です。東側から埋められた様子がよくわかります。堀跡からは軒丸(のきまる)・軒平(のきひら)瓦をはじめ多種多様な金箔瓦が出土しました。これらの金箔瓦は聚楽第本丸に使用された瓦として2002年3月、国の重要文化財に指定されました。本丸の建物の装飾性がうかがわれます。  (「20 聚楽第 – 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所」より)]

聚楽第趾 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は大宮通西北角(本丸東堀があったとされる地点で、カメラ北北西方向に聚楽第跡の碑があります。また、カメラ南方向が本丸東堀跡が発見されたハローワーク西陣です。

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