マーカーは禁裏道場蹟です。
「国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図中央右方向、緑の枠右に般舟院が描かれています。)
般舟院(禁裏道場蹟)
[般舟院(はんじゅういん)は、京都市上京区にあった天台宗の寺院。般舟三昧院とも称する。山号は指月山。本尊は阿弥陀如来。現在は西圓寺という単立の寺院となっている。
室町時代中期の応仁の乱の後、後土御門天皇の発願により恵徳上人善空を開山として伏見(京都市伏見区)指月山に建立、勅願寺とされた。しかし、文禄3年(1594年)から本格的に始められた豊臣秀吉による伏見城の築城工事に伴って、西陣に移転した。
江戸時代には、禁裏道場として御所直属の天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場として栄え、東山の泉涌寺とともに皇室の香華院であった。二尊院・遣迎院・廬山寺とともに御黒戸四箇院のひとつでもあった。
敷地は現在の嘉楽中学校の全域とその西隣にある般舟院陵をも含む広大な広さを誇っていたが、明治維新後の神仏分離令に伴い、皇室からの下付金がなくなったことなどにより衰微し、敷地の大部分は上京第七番組小学校(現在の嘉楽中学校)となった。
皇室歴代の尊牌を安置していた。しかし、その維持も存続も難しくなった明治4年(1871年)に、尊牌は泉涌寺霊明殿に移されて安置されることとなった。
般舟院の遺物として天明3年(1783年)建立の正門と講堂が残っていたが、大正12年(1923年)に発生した関東大震災により大破した鎌倉の建長寺からの要請で、建長寺へ寄付するこことなり、昭和18年(1943年)に移築された。現在、それぞれ正門は建長寺の総門に、講堂は方丈となっている。
2011年11月の新聞各紙の報道によると、般舟院の土地と建物は競売にかけられて他の法人に所有権が移っており、重要文化財指定の仏像2体も京都市内の他の寺院に保管されているという。
さらに、この一連の競売問題に絡み、競売に絡んで解職された般舟院の元住職が、重要文化財の仏像2体を無断で持ち出し隠匿していたとして、2012年7月9日に文化財保護法違反容疑で書類送検された。
般舟院陵
般舟院陵(はんしゅういんのみささぎ)。はじめは伏見にあったが、般舟院の移転と同時に現在地に移された。後花園天皇、後土御門天皇、後奈良天皇、後柏原天皇の母源朝子など14墓からなる。式子内親王は後白河天皇第3皇女、「式子内親王塚(のりこないしんのうのつか)」は般舟院陵の左側にあり、般舟院陵が移転してくる前からあったと伝えられている。 (wikipedia・般舟院より)]
禁裏道場蹟(きんりどうじょうのあと)
[般舟三昧院は,後土御門天皇(1442~1500)が幼少期に住んでいた伏見殿に仏閣を建立して勅願寺としたことに始まる。天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場に擬されたため禁裏道場と呼ばれた。文禄4(1595)年,豊臣秀吉(1536~98)の伏見城造営に伴い現在地に移された。この石標は禁裏道場跡般舟院を示すものである。
所在地 上京区今出川通千本東入北側(嘉楽中学校前)
位置座標 北緯35度01分47.6秒/東経135度44分36.8秒(世界測地系)
建立年 1940年
建立者 嘉楽同窓会
寸 法 高294×幅52×奥行50cm
碑 文
[南]
禁裏道場蹟
京都府知事従四位勲三等 川西実三書
[北]
皇紀弐千六百年記念 嘉楽同窓会建之
[西]
抑 本校敷地ハ東隣ニ存スル天台宗般舟三昧院正殿ノ在リシ所ニシテ本校々名ハ西側ニ立テル 後土御門天皇御母儀嘉楽門院御墓ニ因タリ」又本校元講堂ハ 御歴代御尊牌ヲ奉安セシ所ニシテ本校元正門ハ 桜町天皇御殿門ノ御下賜ニ係レリ 謹ミテ史ヲ按スルニ洛陽般舟三昧院」記ニ 後土御門天皇以来遣勅アリテ代々御追善追福此所ニテ修セラル丶事恒例ナリ毎事 禁中ニ模セラル丶故法会ハ皆准御斎会ナリサレハ」衣冠正シカラサル者ハ出入ナシ当時ニ於テハ勅願随一ノ精舎トモ申ス可キニヤトアリ顧フニ児童ノ教化ハ其環境ト密接ノ関係アリ敢テ孟母」三遷ノ故事ヲ挙クル迄モナシ然ラハ此点ニ於テ本校ハ特種ノ位置ヲ占ムルモノカ然ルニ今年夏鎌倉建長寺ノ懇請ニ遭ヒ大正十二年震災大破」
ノ仝寺復旧ヲ助援シ前記講堂正門ノ二ツナカラ仝寺ニ譲与セリ茲ニ於テ従来久シク特種ノ感化ヲ蒙リシモノ忽ニシテ望洋ノ嘆アリ依テ新ニ」標*ノ碑ヲ樹テ既往ノ感激ヲ永久ニ貽サント欲ス願クハ今ヨリ以後朝々登校ノ者之ヲ仰キ学窓ノ下平生思慮忠純ノ誠心ヲ励ミ遊庭ノ上日常」操行端正ノ工夫ヲ凝サン事ヲ
宮内省図書寮御用掛従六位 猪熊信男撰」
[東]
昭和十五年十二月 京都市嘉楽尋常髙等小学校長
正七位勲七等 宮川宗四郎謹書
調 査 2002年2月6日 (「KA035 禁裏道場蹟 – 京都市」より)]
「都名所図会」・「巻之一 平安城再刻 般舟院」、「巻之一 平安城再刻 般舟三昧院 (般舟院)解説」
般舟院(拡大図)
カメラ北方向に禁裏道場蹟があり、その右方向に西圓寺山門があります。
カメラ北方向が般舟院陵山門です。