マーカーは裏千家今日庵です。
裏千家今日庵
[裏千家(うらせんけ)は、茶道流派の一つ。「裏千家」の語は、家元とその家族らで構成される宗家を指すことも、財団法人裏千家今日庵などの法人組織を指すことも、弟子・門下生を含む流派組織を指すこともある。茶道諸流派中最大の流派である。
裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意。宗家は京都市上京区小川寺之内上ルにあり、表千家宗家と隣接している。その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもある。なお、今日庵の由来は、千宗旦が亭主をつとめた茶席に遅れた清巌和尚に、所用があるとして留守にした宗旦が明日の来席を請うた際に残した清巌和尚の「懈怠比丘不期明日」の書き付けから。「千家」といえば本来、本家の表千家のことであったが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになった。 (wikipedia・裏千家より)]
千利休居士・千宗旦居士遺蹟今日庵
[裏千家流家元の茶室。利休(1522~91)切腹後,豊臣秀吉(1536~98)から千家復興を許された父少庵(1546~1614)から不審庵を譲り受けた千宗旦(1578~1658)は,正保3(1646)年,同庵を三男宗左(1613~72)に譲り,自身は北隣に今日庵を建てて隠居した。のち四男仙叟が継ぎ,裏千家の基礎が確立した。この石標は利休・宗旦ゆかりの今日庵を示すものである。
所在地 上京区小川通寺之内上る東側
位置座標 北緯35度02分04.8秒/東経135度45分12.0秒(世界測地系)
建立年 1928年
建立者 京都史蹟会
寸 法 高122×幅20×奥行17cm
碑 文
[西]
千利休居士
千宗旦居士遺蹟 今日庵
[南]
昭和三年十一月
[北]
京都史蹟会建
調 査 2002年2月6日 (「KA045 千利休居士・千宗旦居士遺蹟今日庵 – 京都市」より)]
カメラ東方向が裏千家今日庵で、カメラ方向右の植え込みに千利休居士・千宗旦居士遺蹟今日庵石標があります。