マーカーは護浄院(清荒神)です。
「国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号3/5・絵図四つ切左上、仙洞御所左、荒神町上に清荒神が描かれています。)
護浄院(清荒神)
[本尊である火の守り神の「三宝清荒神尊」は「火の用心」「災難除け」の本尊として人々の信仰をあつめています。荒神尊は三寶、仏・法・僧を守護するところから三宝清荒神尊と名づけられました。開基は宝亀2年(772)で、光仁天皇の皇子である開成皇子が仏門に帰依し、勝尾山(現在の大阪府箕面市)で修行中感得され、自ら模刻し日本最初の荒神尊としてお祀りされました。慶長5年(1600)後陽成天皇により皇居守護のためこの地に移され、以後歴代天皇に国家安寧・五穀豊穣の御札を献上し、現在も綿々と続いています。 (「京都観光Navi:護浄院 – 京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi」より)]
[荒神口の名の起こりとなったのが清荒神(きよしこうじん)といわれる護浄院で,古くから火の守護神として家庭の竃に祭られ,日常生活にとけこんでいます。天台宗の寺院ですが,流造の神社風の本堂の前に石鳥居があって神仏習合の時代を感じさせられます。
本尊は三面六臂の恐ろしい形相をした三宝荒神の像で,摂津勝尾山の清荒神を室町時代の初めに後小松天皇によって京都醒ケ井高辻に勧請し,慶長5年(1600)この地に移されたと伝えられています。室町時代には宮中の信仰が篤く,女官が度々代参していたことが当時の古記録から知ることができます。
尊天堂に祀られている福徳恵比須神は京都七福神の一つとなっています。 (「上京区の史蹟百選/護浄院」より)]
「護浄院 (清荒神) – Google Map 画像リンク」
カメラ南南東方向が護浄院(清荒神)山門です。