フランソア喫茶室

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フランソア喫茶室
[フランソア喫茶室は、京都府京都市下京区にある喫茶店で、国の登録有形文化財(建造物)である。
1934年(昭和9年)に立野正一が創業した。1940年(昭和15年)に、後から購入した北隣の木造二階建ての民家を現在に残る店の姿に改築した。改築前は、明治から大正時代に建てられた京都の伝統的な町屋だった。
戦争への足跡が聞こえる中、思想や芸術について自由に語り合える場を作ろうと、創業者で社会主義者の立野正一が友人のイタリア人(京大文学部の留学生アレッサンドロ・ベンチヴェンニ)に改築を依頼した。ベンチヴェンニは建物を洋風に設計。豪華客船のキャビンをイメージした。設計はベンチヴェンニだが、施工は当時の日本の大工(日銀の内装を手がけた大工)や、家具の装飾を手がける指物師(木の道の匠)が作った。木造2階建、瓦葺、建築面積40m²。
店名はフランスの画家、ジャン=フランソワ・ミレーにちなんでいる。創業者の立野正一は、絵描きを目指して美術学校へ通っていた。国が軍国主義へ傾倒していくなかで、それに反発し、社会主義を啓蒙する場所として作った。
1936年(昭和11年)7月からは、反ファシズム新聞「土曜日」の発行を支援している。同紙の反戦・反軍国主義な論調は京都府警特高課の監視対象となり、翌1937年(昭和12年)11月の弾圧によって廃刊となった。立野ら関係者は治安維持法違反により検挙・収監されたが、喫茶店スタッフ(ウェイトレス)の一人で、後に立野の妻となる佐藤留志子が店の経営を支えた。
太平洋戦争が始まるとコーヒーを出せなくなり、店名も「純喫茶・都茶房」と変え、番茶や干しバナナを提供しながら、幸運にも戦火をくぐりぬけた。藤田嗣治太宰治吉村公三郎らも通った。
2003年(平成15年)1月31日付けで国の登録有形文化財(建造物)に登録された。喫茶店が登録有形文化財に登録されたのは同店が日本で初めてである。
「フランソア喫茶室:ステンドグラスと客席」・wikipedia-photo、客室内のドーム・wikipedia-photo  (wikipedia・フランソア喫茶室より)]

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