七条仏所跡

マーカーは七条仏所跡案内板です。

七条仏所跡
[七条仏所跡
 この地は、平安時代中期に活躍した仏師(仏像彫刻家)定朝(じょうちょう)をはじめ、その一族・子弟・子孫が長く居住して彫刻に励んだ「仏所」(ぶっしょ)のあった所で、「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれていた。
 定朝は、平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像(国宝)の作者で、「和樣」と呼ばれる優れた彫刻樣式を完成したほか、卓越した技術によって僧綱位の法橋を与えられ、仏師の共同組織として仏所の制度を整えるなど、仏師の社会的地位の向上に努めた。これらのことから、定朝は我が国における仏師の祖と仰がれている。
 鎌倉時代に入って、この仏所から運慶湛慶快慶らが相次いで現れ、剛健な、また写実的な多くの名作を世に送った。しかし、室町時代に入って、彫刻は全体としてふるわず、この仏所も21代康正(こうしょう)のとき四条烏丸に移転した。その後、幕末の兵乱で火災に遭い、仏所の遺構は完全に失われた。  京都市]

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カメラ南南東方向に七条仏所跡案内板が設置されています。