五条大橋

マーカーは五条大橋です。

五条大橋
[天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により三条大橋とともに増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された。この秀吉時代に造られた橋の橋脚がなお、昭和期まで河中に残されていたが「鴨川洪水」の後に川底が掘り下げられたため撤去され、のちに京都国立博物館の庭に展示された。1935年(昭和10年)6月28日深夜から29日にかけての「鴨川水害」では、上流の団栗橋・松原橋と共に流され、翌30日には第十六師団の工兵隊が出動、仮橋を仮設したが8月に発生した2度目の水害で仮設橋も流失した。現在の橋は五条通拡幅工事にともない1959年(昭和34年)3月2日に架け替えられたものである。橋の西北側には、かつてこの地にあった御影堂(新善光寺)扇にちなんだ「扇塚」がある。
尋常唱歌の『牛若丸』によれば、五条大橋は弁慶牛若丸が出会った場所とされるただし異説もある。『義経記』によれば2人の出会いは清水観音の境内とされる。また、平安時代の五条通は現在の松原通に相当することから「五条の橋」は現在の松原橋付近とする説や2人の出会いの地は西洞院通であったとの推測もなされている。現在の橋の西側(河原町通との交差点近く)の中央分離帯には、その状景を模した京人形(御所人形)風の2体の石像(社団法人京都青年会議所寄贈)が設置されたが、2009年4月に始まった下水道工事にともない扇塚の西側に移設された。が下水道工事の終了に伴い2012年4月に中央分離帯に再設置され、併せて噴水や時計台が設置されている。
五条大橋(西詰より)・wikipedia-photo、扇塚(五条大橋西詰)・wikipedia-photo、「円山応挙作「五条橋大仏殿眺望図」。五条大橋と方広寺大仏殿が描かれている。」・wikipedia-photo  (wikipedia・五条大橋より)]

五条大橋資料リンク
都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 五条橋 (五条大橋)」、「巻之二 平安城再刻 五条橋 (五条大橋)解説
五條橋(拡大図)

拾遺都名所図会」・「巻之一 平安城 御影堂扇折
御影堂扇折(拡大図)

[御影堂扇折(みゑいだうあふぎをり)
扇折る手品やさしく御影堂凉しき風を箱入にして  斑竹]

年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「稲荷祭禮乃図 五条橋」(4-5)

稲荷祭禮乃図其二」(4-6)

カメラ位置は五条大橋西北詰で、カメラ北東方向に扇塚があります。またカメラ西方向・中央分離帯に「牛若丸・弁慶像」が設置されています。

カメラ南方向が「牛若丸・弁慶像」です。

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