八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)・冠者殿社

マーカーは八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)です。

八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)関連リンク – 「八坂神社」、「祇園祭(八坂神社・石段下)」、「神輿洗い」、「三条御供社(又旅社)」、「大政所御旅所旧跡」、「祇園祭(山鉾)」、「山鉾巡行」、「中之町御供

八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)
[山鉾巡行に眼を奪われがちですが祭礼の本質は神幸祭(しんこうさい)と還幸祭(かんこうさい)にあり,17日の山鉾巡行と24日の花笠巡行は神幸祭と還幸祭の先触れとして行われるものです。
 神幸祭とは,普段八坂神社の本殿に祀られている神霊を3基の神輿に遷して御旅所に迎える神事のことで,17日の山鉾巡行終了後に行われます。
 八坂神社本殿に稚児などが昇殿して神事が行われ,その後,宮本講社(清々講社)の人々が神宝を預かり,御旅所に向かいます。神輿3基は15日から拝殿に安置され,神輿会のかき手が担いで,拝殿回し・さし回しの後,二輪の台車に載せられ,各々のコースを渡御して御旅所に進みます。神職による着輿祭があり,神輿は所定の位置に置かれます。
 現御旅所は四条通南側にあり,向かって右の西御殿に中御座(素戔嗚尊)と東御座(櫛稲田姫)。反対側の東御殿に西御座(八柱御子命)が並べられ,灯明神饌が供えられます。神輿は,その後1週間御旅所に留まり,花笠巡行後に行われる還幸祭で本社に帰ります。
旧御旅所
 現御旅所は,天正19(1591)年,豊臣秀吉が移したもので,旧御旅所は冷泉東洞院の少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と高辻烏丸の大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ,現下京区烏丸高辻上る大政所町)の2カ所にあって,祭礼時に神輿は両所に分駐しました。少将井御旅所は町名(中京区)のみを今に残しており,大政所御旅所は故地を示す小祠が建っています。
 円融天皇のころ,この地に住んでいた秦助正(すけまさ)が夢中に神託を受け,その邸内に御旅所を造ったのに始まると伝えられています。今でも神輿還御の時に,特に神輿を降ろし,神職がその前に玉串を奉納します。  (「文化史28 祇園祭 祭礼篇 – 京都市」より)]

冠者殿社
[冠者殿社は八坂神社の境外摂社で、四条御旅所の西側に鎮座する。創建年代は不詳だが、当初は烏丸高辻の大政所御旅所にあったという。豊臣秀吉の命による大政所御旅所の移転に伴い、慶長の初めに現在地に遷座した。俗に土佐坊昌俊を祀るといわれ、「起請返し」「誓文払い」の信仰で知られる。  (「冠者殿社 – 八坂神社 | 京都市下京区 – 古今御朱印研究室」より)]

[歳末大安売りの起源は京都にあるという。西日本を中心に「誓文払い」とも呼ばれるが、京都市下京区四条通寺町通東入ルの八坂神社御旅所に隣接する冠者殿社(かんじゃでんしゃ)がそのルーツだ。
 同社は八坂神社の境外末社で、祭神はスサノオノミコト。姉のアマテラスオオミカミと誓約を交わしたという神話から、誓文の神様として祭られている。一方で地元では、平安時代末期、源義経を襲い、返り討ちにあった土佐坊昌俊の霊を祭ったとも伝わる。
 源頼朝の命を受けた土佐坊は1185(文治元)年、六条堀川に滞在していた義経の夜襲を計画したが発覚、武蔵坊弁慶に捕まってしまった。土佐坊は暗殺の意思が無いと誓紙に書いたが、その日のうちに誓いを破り夜討ちをかけた。しかし暗殺は失敗、土佐坊は処刑された。
 誓文の神様と、誓いを破った土佐坊の双方が祭られ、近世以後は契約にかかわりが深い商人から信仰を集めるようになったという。八坂神社の橋本正明権禰宜(49)は「昔の社会通念では、商売上の駆け引きで契約を破ったり、安い品を高く売り利益を得ることに罪の意識を感じていた」と説明する。
 毎年10月20日の同社祭日には多くの商人が参拝し、その罪の意識をお払いする。参拝後に大安売りを行い、神事の誓文払いがそのまま年末の大安売りの代名詞となり全国に広がった。同社の誓文払いは戦前までは盛大だったが、戦後の混乱で廃れ、八坂神社が神事だけを行っていた。最近、復活に向けた取り組みが始まった。  (「(210)冠者殿社 – 京都新聞|ふるさと昔語り」より)]

祇園祭 清々講社 – 京に癒やされ by 五所光一郎 [京都ブランド …

[祇園祭主な行事及び神幸祭・還幸祭(神輿渡御)・花傘巡幸経路図(八坂神社ホームページ)

祇園会資料リンク
都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 祇園御旅所四條道場」 、「巻之二 平安城再刻 祇園御旅所解説」、「巻之二 平安城再刻 祇園会 (祇園祭)(一枚目)」、「 巻之二 平安城再刻 祇園会 (祇園祭)(二枚目)」、「巻之二 平安城再刻 祇園会の祭式 (祇園祭)解説」、「巻之二 平安城再刻 官者殿」、「巻之一 平安城再刻 手洗水
祇園御旅所四條道場(拡大図)

[図会下道が四条通、左端の本堂が金蓮寺・四条道場(移転・現在地-北区鷹峯藤林町1-4)、そこの右広場が四条御旅所、そこの右端鳥居が冠者殿社になり、冠者殿社後ろに手洗舎が描かれています。

官者殿(拡大図)

[十月廿日は誓文はらひとて、四条京極の官者殿に詣て群集し、祇園鴨川の浮女もここに来てちかひをはらひ、又其夜より誓文を立るも、此神は見ゆるし給ふかや。
嵯峨山や都は酒のゑびす講  其角]

巻之一 平安城再刻 手洗水
手洗水(拡大図)

[手洗水は烏丸通錦小路の北にあり。むかし大政所町に祇園神輿の御旅所ありしとき、参詣の輩ここにて手水なしける。此例により今も六月七日より十四日まで井をひらきて手水所とする也。凄冷たる清泉にて比類なし。此水を服すれば疫をのがるるとぞ。]

拾遺都名所図会」・「巻之一 平安城 祇園会鉾の児の町 (祇園祭・一枚目)」、「巻之一 平安城 祇園会鉾の児の町 (祇園祭・二枚目)
祇園会鉾の児の町(拡大図)

[祇園会鉾の児は其町々の当家よりゑらび出し、六月朔日本社へ参詣する事、厳重にして肩輿に駕し、先キ歩徒後丁従者多く烈を正し、其行粧威風凛々として宛高貴の往来の如し。是なん神の威徳のいちじるしきなるべし。
しばらくは雲
のうへ也鉾の児]

年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図 」・「祇園会山鋒宵飾之図」(5-5)、「祇園会山鋒引渡図」(5-11)、其二(5-12)、「祇園会古図」(5-16)、「祇園会宵山飾図」(5-21)、「祇園会山渡之図」(5-25)

八坂神社 四条御旅所 (西御殿) – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が八坂神社御旅所(祇園御旅所/四条御旅所)で、左の「Otabi Kyoto」はお土産物店になっていますが、祇園祭時には土産物店が撤去され御旅所となり、17日の夕方、八坂神社を出た3基の神輿は、町中を回りこの御旅所に着御します。また、南端の鳥居は八坂神社摂社 冠者殿社になります。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*