四条大橋

マーカーは四条大橋です。

グーグル・アート・プロジェクト – 歴史アーカイブ – 「京都散策・明治初期~大正初期

[四条大橋(しじょうおおはし)は、京都市を流れる鴨川に架かる四条通の橋である。
八坂神社の「社家記録」によると、1142年(永治2年)に勧進により架けられたという。以後何度も水害により流失し、そのたびに架け直されている。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、平氏六波羅第・六波羅探題鴨川の東にあったことから重要性が増し、幅の広い橋が架けられていた。近世には三条大橋五条大橋が街道の起点(終点)であったのに対し、四条大橋は八坂神社への参詣路であり、幕府の管理下になかったことから、これらの橋に比べ小さな橋であった。幕末の1857年(安政4年)にようやく石造の橋に架け換えられ、さらに1874年(明治7年)には鉄製に架け換えられた。このときは建設費の償還のため通行料をとっていた。1913年(大正2年)には京都市電の開通とそれに伴う道路の拡幅のため、鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け換えられた。しかし1934年(昭和9年)の室戸台風・翌1935年(昭和10年)6月の水害でアーチ部分に流木などが引っ掛って水をせき止め、周辺に大きな被害を出したため鴨川の川底の掘り下げに併せて架け換えられることになり、1942年(昭和17年)に現在の橋が架けられた。1965年(昭和40年)には高欄部分が新設された。)
四条大橋 明治大正時代絵葉書・wikipedia-photo、「四条大橋、奥は南座」・wikipedia-photo、出雲阿国の像・wikipedia-photo、四条大橋(明治19年(1886年)の四条通)・wikipedia-photo  (wikipedia・四条大橋より)]

四条大橋資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 京都名所之内 四条河原夕涼」(pdf 画像リンク)

都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 四条河原夕涼之躰 (四条河原)」、「巻之二 平安城再刻 四条河原夕涼之躰 (四条河原・一枚目)解説」、「巻之二 平安城再刻 四条河原夕涼之躰 (四条河原・二枚目)解説
四条河原夕涼之躰 (四条河原)(拡大図)

都林泉名勝図会」・「巻之一 四条河原 (一枚目)」、「巻之一 四条河原 (二枚目)」[図会解釈お勧めサイ]、巻之一 四条祇園橋解説
四条河原 (一枚目)(拡大図)

花洛名勝図会」・「東山之部 一 四条橋(一枚目)」、「東山之部 一 四条橋(二枚目)」、「東山之部 一 四条橋解説
四条河原 (一枚目)(拡大図)

四条河原 (二枚目)(拡大図)

都名所画譜」・「巻之上 四条鉄橋

年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「四条河原積塔の図」(2-29)、「積塔解説・右ページ4行目より」(2-28)
[積塔会 – 陰暦二月十六日、京都市高倉綾小路にあった清聚庵で、盲人の守護神雨夜皇子を祀った行事。当日、勾当(盲官の位)が四条河原で石を積んで塔を組み、皇子の冥福を祈ったのでこういう。皇子は光孝天皇の弟で盲目の人康親王というが、定かでない。現在は途絶えている。  (「季語・積塔会」より)]

国立国会図書館デジタル化資料 – 浪花百景付都名所」 – 「都名所之内 四条橋河原夕涼」、「都名所之内 四条橋より縄手通大和橋を望

鴨川四条橋下流河川敷遊歩道からのカメラです。

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