本覚寺

マーカーは本覚寺です。

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号2/5・絵図四つ切左上、五条橋右方向に本覚寺が描かれています。)

本覚寺
[山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで、今この辺を本塩竃町という。寺伝によれば、初め西八条の遍照心院(1名、大通院)内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとったものである。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ、末寺14を有する本山となった。その後、後柏原天皇勅願寺となったが、天正19年(1591)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸時代中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。下京区富小路通五条通下る本塩竈町  (「京都観光Navi:本覚寺」より)]

本覚寺資料リンク
都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 東九条判官塚・下寺町長講堂 (長講堂)・太子堂 (白毫寺)・本覚寺」、「巻之二 平安城再刻 本覚寺解説
東九条判官塚・下寺町長講堂 (長講堂)・太子堂 (白毫寺)・本覚寺(拡大図)

[図会右ページ右上に東九条判官塚、左下に太子堂 (白毫寺)、左ページ中央右に下寺町長講堂 (長講堂)、左下に本覚寺が描かれています。]

佛性山 本覚寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が本覚寺山門です。

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