西本願寺(唐門)

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西本願寺(唐門)
[●唐門(国宝) – 境内の南側、北小路通に南面して建つ。境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐書院(対面所)への正門である。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」である。総漆塗り、各部各所を中国の許由と張良の故事を題材とした極彩色彫刻と鍍金金具で装飾しており、日暮し眺めても飽きないとされることから「日暮門」の俗称がある。場所によっては厚さ60センチメートルにもなるこれら装飾彫刻の多くが後に付加されたものであることが修理に際して明らかにされている。金具の各所には桐紋と菊紋が打たれ、寺院の門としては華麗に過ぎるところから聚楽第の遺構とも伏見城の遺構とも、あるいは元和2年(1616年)以降に荒廃が進んだ豊国社から移築されたものとも伝えるが、確証はない。ただ様式からいえば天正銘が発見された大徳寺唐門に比べて明らかに後の時代に属するものと考えられ、その創建は慶長年間(1596年 – 1615年)以降と推定されることから、聚楽第遺構説は否定される。寺の記録『元和四戊午年御堂其外所々御再興ノ記』によれば、元和3年(1617年)の火災の翌元和4年(1618年)に御影堂門(一説には阿弥陀堂門)を「御対面処ノ東」に移築したとあるから元和3年以前にすでに本願寺にあったことが確認でき、後に寛永年間(1624年 – 1645年)初期、御影堂再建に先立つ一連の境内整備の際に現在地に再移築したと考えられているが、そもそもこの門が最初に本願寺に現れた年代や事情ははっきりしていない。wikipedia-photo

唐門(国宝)・wikipedia-photo

   (wikipedia・西本願寺より)]

西本願寺境内図

本願寺 唐門 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が唐門です。

唐門彫刻のカメラです。

唐門内のカメラです。

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